どれくらいそうしていただろうか。

 額にはりついた黒髪をかきあげるように優しく撫でていると、伏せられていた睫毛がぴくりと動いた。
 「………ん……」
 先生はわずかに上体を身じろがせると、半分おちたままの瞼をだるそうに持ち上げてうつろな視線を中空にさまよわせた。
 「起きた?先生」
 まとわりつく髪を払うような手つきで頬を辿りながら、そのまどろんだ顔を上から覗きこむ。
 先生はぼんやりと状況が飲み込めていないような表情で僕をみつめて、声を上げ過ぎてからからに掠れた喉で呟いた。
 「……………いま何時ですか」
 その言葉に腕の時計に目をやると、すでに短針は八時に差しかかろうとしている。
 カーテンのわずかな隙間から見える窓の外の景色はすでに漆黒の闇の中だった。
 時間を告げてやると、僕の膝の上に頭をあずけ、床に身体を丸めるようにして寝そべっていた先生はのろのろと上体を起こした。
 「もう…そんな時間ですか…。……早く戸締りして帰らないと、用務員の先生に怒られます……」
 その肩に掛かっていた僕の制服のジャケットを、緩慢な手つきで僕に差し出す。
 先生が意識を無くしたあと、べたべたに汚れた肌を適当に始末して、形ばかり整えてやっていた衣服をだるそうに直し始めた。
 第三ボタンまでだらしなく開いていたシャツのボタンをきっちりと留め、白衣の裾を払う。
 身繕いをしている合間にも、時折その顔がちいさく歪んだ。
 多少傷つけてしまっていたことは後始末の際、タオルにわずかに滲んだ血で気がついていた。
 正体の無い先生の顔と交互に見比べながらやっぱり痛かっただろうな、などと考えると、さすがに罪悪感に胸がちくりと痛んだ。
 内部に出した精液はできるだけ出してはおいたが、残ってしまう分はどうしようも無く、そのままだ。
 「先生」
 小さく呼びかけてみる。
 覚悟の上でのことではあったが、衝動のままにこんな強姦まがいの性交に及んで、目が覚めたらきっとなじられるに違いない、とか、もう以前のようには接して貰えまいなどと考えていただけに、黙ったまま淡々と手を動かしている先生に逆に居たたまれなくなる。
 「夜神くんも早く帰った方がいいです。おうちの方が心配します」
 僕と目を合わせようともせず、ふらりと立ち上がろうとする先生の手首を掴む。
 「先生」
 先よりも少し強い声音で呼ぶ。その肩がぴくりと揺れた。
 「なんで何にも云わないの」
 「…………………」
 「怒ってるならそう言ってよ。殴ってもいい。憎んでるならそれでも……無視されるよりはよっぽど良い」
 そう沈痛な声で訴えてみても、先生はこちらに背を向けたまま動かない。
 「先生」
 「…………………」
 「先生!」
 焦れてその細い肩を掴んでむりやり振り向かせる。
 そのはずみでバランスを崩して、前のめりに倒れ込んだ先生の身体を腕で抱きとめた。
 先生はびくりと身体を強張らせたが、僕の腕がそれ以上の動きを見せないことがわかると、大人しく力を抜いてされるがままになった。
 僕の肩口に額を凭れさせるようにして、ようやく先生が口をひらく。
 「怒っているんじゃ、ありません…」
 ぼそぼそとしたその呟きは、顔を埋めた僕のシャツに幾分吸い込まれてくぐもって聞こえた。
 「………私は、先生なのに……生徒である夜神くんと、こんなことをして……こんなことを許してしまうなんて、教師失格です。自分自身が腹立たしくて、情けなくて……夜神くんにも顔向け、出来ないです」
 「何云ってるの、先生」
 思わず剣呑な色を帯びた声が口をついて出た。
 「こうしたのは僕が望んでしたことじゃないか。僕が一方的に先生を好きになって………むしろ先生は被害者だ。それなのに、どうして先生がそんな風に考える必要があるの」
 「私の責任です。ここまで夜神くんの気持ちが及ぶまえに私は何とか出来たはずなんです。こうなってしまう前に、ちゃんと最初からはっきり抵抗を示していれば…」
 「先生!」
 淡々とまくし立てるように並べられるその言葉を、声をわずかに荒げて止める。
 両手を交差させて顔を覆い隠すその腕を引き剥がすように掴むと、うつむいたままの先生が「違うんです」とか弱く呟いた。

 「うれしかったんです」

 「………え?」
 思わず聞き返した。
 先生の顔の大半は長く垂れ込めた前髪に覆われていて、その表情は読めない。
 「ほんとは、…嬉しかったんです。夜神くんに「好きだ」と言って貰えた時……でも、私は教師で、夜神くんは生徒で……そんなの、許されないことに決まってますから、夜神くんの気持ちに応えることは出来ないと、応えてはいけないと、そう自分に言い聞かせて、ずっと気がつかない振りを…していたんです」
 「……………せ、…」
 思いがけないその台詞に戸惑い、僕が言いよどんでいる間にも先生の独白は続く。
 「こんなことをしてしまったら、引き返せなくなるのは分かってました。引き返せなくなって、いつか問題が起こって、夜神くんに見切りをつけられるようなことになってしまうよりは……このまま、ただの教師と生徒の間柄のままでいれば、そんな形での別れは来ないし、関係が壊れてしまうようなことも無いと、そう、思って…いました」
 そっと薄い背中に掌を這わせ、続きを促す。
 「………………それから?」
 「………さっき、夜神くんにキスされて、「抱きたい」と言われたときも、……理性では受け入れられないと、拒絶しなくてはいけないと思っている反面、心の何処かでこうなることを歓んでいて…望んでいる自分がいて……。だから、抵抗もままならないまま、流されて………こんな、こんなの、私は教師でいる資格、ないです…」
 とりとめなく吐き出されるその告白は泣き声をはらんで、語尾は覇気なくかすれて消え入った。
 「…………………先生」
 わざと厳しい声をつくってそう呼ぶと、腕の中で落ち込んでいた先生の肩がびくんと震える。
 「先生って、馬鹿だね」
 「ば………」
 そのぞんざいな言い草に思わず顔を上げた先生の唇に、かすめとるようなキスをおとした。
 事態が飲み込めずきょとんと目を瞬かせる先生に、真面目な顔で問いかける。
 「僕のこと、好き?」
 今度こそ逡巡することもなく、するりとその答えは舌に乗せられた。
 「…好き……です」
 「僕もだよ」
 優しく微笑んでその頬に軽く口づけた。
 「やっと伝わった」
 先生がこぼれおちそうなほどにまるく目を見開く。
 そしてようやく言葉の意味が咀嚼できたのか、顔をくしゃくしゃにしながら、せきを切ったような大粒の涙をこぼしはじめた。
 「ああ…、そんな子供みたいな顔して。ホントに先生今年23なの?」
 呼吸まじりに苦笑すると、透明な滴で濡れた頬を指で拭う。
 反論もできないほどにしゃくりあげて、瞼を濡らす先生の顔を手のひらで促し再び上向かせた。
 「そういうとこも好きなんだけど」
 嬉しそうに呟きながらその唇をそっと塞ぐと、先生は滴をふくんだ睫毛を弾くように数度瞬かせて目を閉じ、そろりとぎこちなくも僕の背中に手を這わせてくる。
 参った。
 本当に僕は、この存在にやられている。
 絶対に手に入らない、触れることも叶わないと思っていた存在。
 それが、いまこうして自分の腕の中で互いの唇を触れ合わせている。

 「…夜神くん、あの……」

 接吻け終えて僅かに身体をはなすと、先生が目もとを腫らせたままばつがわるそうな表情で、顔を俯かせて小さく呟いた。
 「なに?」

 「あと五分だけ、……こうしていてもいいですか…?」

 その言葉に、えもいわれぬ充足感に満たされながら僕は心底からの笑みを浮かべて、思いがけずこの手に入った細い身体をきつく抱きしめた。


 腕に感じる先生の重みは、折れそうに頼りないながらも確かだった。




end.






ぶはっ!甘っ!!

なんだこりゃ!
甘い!さむい!たのしい!!(落ち着け!)

高校教師第2弾、放課後編をお送りいたしましたが、いかがでしたでしょうか。
昼休み編のあとがきで書いていた竜崎先生とその生徒月くんのはじめて物語であります。
もうなんかいっぱいいっぱいです。
まる一日費やして書き上げました。久しぶりの休日はコレで吹っ飛びました。
今回はエロシーンから着手するという禁じ手をつかったため、なんだか全体を通してみると一貫性に欠ける気がしますが。
このサイトのSSは細かいことを気にして読んではいけません。

ホントはこの話、もっと長かったんです。
キスされたあと数日間夜神くんを避けまくる竜崎先生や、コトに及んだ次の日は先生学校お休みしましたとか
いろんな書きたいエピソードがあったんですが、
そんな設定細かいパラレル長編だれが読むんだという考えに至り、大幅にけずりました(涙)

けっこうこの高校教師シリーズ楽しみにしていてくださる心ひろい方々がいらっしゃるようなので(大好キv←キモ!)
これは良いものを書かねば!と意気込んではいたんですが、このていたらくです。
力量不足でスンマセン OTL

実はすでに4編まで考えてあります(まじでか)
そろそろお客様に愛想をつかされないかが気がかりです。

それでは、最後まで読んでくださってアリガトウございました〜!
よろしければ感想などお聞かせくださると幸いですv


update---2005.3.28