| Killing me softly
天気予報は先週から雨続きだ。
重く垂れ込めた雨雲が空を覆い隠して、何もかもを寂しい錆色に見せている。
傘というのは好きじゃない。差していても完全に濡れるのを防げるわけじゃないし何より邪魔だ。ひと度雨の届かない場所に入れば必要ないのに、持ち歩くのが煩わしい。
それでも何百年も昔から、人間は雨を防いで外を歩くには傘を持ち歩くしかないわけだ。傘のいらない未来ってどんなだろう。
そんな馬鹿みたいなことを考えつつ、僕は大学の講堂の下、傘を開いた。それでもこの他の物音を飲み込んでしまうような雨脚の前には無意味に近く、軒下に立っているだけで、すでに水溜りと化した地面に跳ね返る雨粒の群れが靴を濡らしていく。傘を持ち歩く以上に、僕は濡れるのが嫌いだった。
一番近い沿線の駅まで歩いて十分。
十分もあればほぼ完ぺきに濡れ鼠になるだろう止みそうもない強い雨に、ため息をついて一歩を踏み出したとき、背後から声をかけられた。
「今からお帰りですか、月くん」
独特の抑揚のない口調。
振り返らずとも誰だかは明白だ。
「ああ、そうだよ……お前も今帰り?」
傘を差したまま後ろを振り向くと、いつも通りの無表情がそこにあった。
竜崎。
仮にも大学の授業の帰りだというのに、手には教科書類はおろか傘すら持っていない。
それも今日昨日だけの話ではないが。珍しくなにか読み物を持っていると思ったら俗っぽいライトノベルで閉口したこともあったっけ。
くしゃくしゃのジーンズのポケットに手ぶらの両掌をねじ込んで、これまたお決まりの姿勢でぺたぺた肩を揺らしながら歩いてくる。本人に悪気があるのかどうかは知らないが、佇まいだけでここまで僕を降下させる人間は竜崎のほかには居るまい。むしろ不愉快のレベルだ。
僕がキラで相手がLだからなのかどうかは、それもまたわからない。
講堂の懐から一歩出ただけで、あっという間にシャツの裾が水を吸い始める。
傘をたたく雨音が凄まじい。それでまた不愉快の要因が増す。
濡れるのは嫌だが、傘を畳んで竜崎とお喋りをくみ交わすよりは、濡れねずみになって駅に向かうほうがよっぽど精神衛生上いい。
「この雨脚じゃ、駅に着くまでにびしょ濡れですよ」
早々に会話を打ち切る言葉を吐こうとした僕を遮るようにして竜崎が言った。
忠告でもしてくれたつもりだろうか。またひとつ苛立ちが募る。
「仕方ないだろ。ここで待ってたってリムジンが迎えに来るわけじゃないからね。竜崎と違って」
「奇遇ですね。私も今日は迎えがないんです」
何がどう奇遇なのかは知らないが、竜崎はちっとも困ってなどいない様子で「困りました、傘がありません」などとひとりごちてみせる。
何を考えているのか知らないが、ああいう竜崎には近寄らないほうが無難だ。
うっかり奸計に乗せられて地団駄を踏まされるのは二度と御免だからだ。
大体、迎えならポケットの携帯を使えば五分で門前に用意されるだろうに。
「へえ、そりゃ残念だね」
一瞥をくれながらぶっきらぼうに吐きすてる。
眉ひとつどころか、視線も動かない。
たぶんそういった嫌味や攻撃の効かない特殊な人種なのだ。竜崎は。
だからこっちもついついエスカレートして、子供みたいにむきになってしまうんだ。
「今帰ると濡れてしまうでしょう。月くん、
どこかで時間を潰して雨宿りしませんか?」
親指の爪を噛みながら竜崎が提案する。
いつ止むかもわからない雨が止むのを待ちながら竜崎と顔を突き合わせているか、びしょ濡れになってでも駅に向かい、家へと帰るか。
どちらが正しいなんて、考えるまでもないことだった。
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