眠る君は僕のもの






 「いてっ」

 夜中、左腕が大きく引っ張られて目が覚めた。
 これで何度目だろう。
 だるく重たい瞼を持ち上げつつ、月は腕を引かれたほうへ寝返りをうつように、もぞりと身体を蠢かした。
 半分霞がかった頭をもたげると、隣にできている布団の山に目をやり、ため息をつく。
 「まったく……」
 睡眠妨害の根源である『ソレ』は、規則正しい寝息とともに、僅かに上下している。
 その様を半ば呆れた気分でながめながら、月はがりがりと頭を掻いた。
 左手を動かすたび、その手首につながれている手錠の鎖がちゃりちゃりと小さく音をたてる。
 その細い鎖はシーツの上を黒い蛇のように這い、分断したその先は布団の山の中に消えていた。

 『24時間行動を共にし、捜査協力してもらうということで手を打ちます』

 それがキラという大量殺人犯の疑いを掛けられ、監禁されていた自分へ下された釈放条件だ。
 自分がキラでないということは自分自身が一番よくわかっていたとはいえ、独房に閉じ込められ、『夜神月』がキラであると聞かされ続けた53日間は悪夢のようだった。
 冷たい鉄格子とコンクリートの壁に囲まれた窓さえない部屋で、手足の自由を奪われ、始終カメラの監視を受ける。そんな状態でよくも自分が正気を保ち続けられたものだと今にして震えた。
 そのせいもあり、先の条件つき釈放が言い渡されたときには心底安堵したというのが本音だった。まだ『灰色』とはいえ、再びキラ捜査に加われるのならいくらでも嫌疑を返上する機会はあり、むしろこの手でキラを捕まえることによってそれが出来る。
 しかし、そのためには文字通り、この手錠によって僕はそう云い出した男と24時間一緒にいざるをえないわけだ。
 この手錠のもう一端は、いま隣で布団の中でこちらに背を向けまるくなっている人物、キラ捜査本部ですべての指揮をとっているL──竜崎の右手首につながれている。
 捜査時はもちろん、食事のときも、ミサと会うときも(この時はまあ構わないとしても)、なにをするにもいつも半径1m以内には竜崎がいる。まさにプライバシーは皆無といって良い状態だが文句は言えない。
 さすがに閉口したのはトイレや風呂のときだが、慣れというのは怖いもので、二週間も過ぎようという頃には大仰に気にすることもなくなっていた。
 こうして夜眠るときにも当然手錠はしたままなので、必然的にお互い鎖の届く範囲内に床を構えることになる。
 最初はベッドをぎりぎりの位置に持ってきて出来るだけ離れて寝ようとしていたが、それでは毎夜どちらかがベッドからおちるし(月80%)寝返りすらも打てないということで、止む無くベッドをくっつけて眠ることに落ち着いた。
 しかし、そうしてからも、たびたび月は寝返りを打った拍子に鎖をまき込む竜崎に引っ張られては目を覚まし、またうつらうつらしては引っ張られのローテーションで、よもや慢性的な睡眠不足といってよかった。
 「……竜崎がこんな寝相が悪いなんて思いもしなかったよ」
 心底うんざり、というようなささくれた不機嫌な声で、月は再び溜め息をついた。
 この竜崎と過ごした十数日、得たものといえばこの肩の痛みと手首にできた擦過傷だけだった。
 竜崎にしたって、キラを捕まえるための捜査の一環とはいえ、こんな不便を自らに強いてどう思っているのだろうか。
 いつも飄々としていて、愚痴をこぼすどころかおくびも顔に出さず捜査に明け暮れている様子からは、まったく窺い知ることは出来なかった。
 (それにしたって、よく男と枕をならべてここまで熟睡できるもんだな)
 気の置けない親友同士ならいざ知らず、この春に知り合ったばかりの、ましてや自分自身で『キラの可能性がある』と疑いをかけていた人間が隣にいるというのに。
 相変わらず布団に覆われた肩が、呼吸にあわせて上がり下がりしている。
 微かに聞こえる寝息を黙って聞いていると、ほんの少し悪戯心がわいてきて、月はぐい、と軽く力をこめて鎖を引っ張った。
 ちゃりん、と金属が擦れあう音が鳴る。鎖に引きずられるようにして布団から出てきた竜崎の腕を掴み、その身体をごろりと仰向けに転がした。
  (もし僕がキラだったら、竜崎なんて一万回は殺せてそうだ)
 左手でシーツに頬杖をつきながら、布団から露になった竜崎の顔を見つめる。
 天井を向いたその顔はいっそ無防備なほど穏やかな表情で、僅かにひらいた唇の隙間から深い呼吸を繰り返している。起きる気配はない。
 こういう生活になってからというもの、竜崎と接近するということはほとんど日常化していた。
 朝目を覚ましたとき、すぐ目の前に竜崎の顔があったなんていうようなことはザラなので、いまさらなんの感慨もない。
 (そういえば、寝顔をこんなじっくり見ることなんてなかったな)

 ……男の寝顔を観察したところで愉しいことがあるもんか。

 ふと浮かんだ考えを打ち消すようにそう思い直すと、月は三度目のため息をつき、竜崎の方を向いたまま頭をシーツに転がした。
 眠ろう、とぼんやり考えたが、半端に目が冴えてしまって睡魔が下りてこない。
 暗闇の中、しばらく月は目を開けたままでいた。
 カーテンの隙間から漏れている外の明かりが微かに室内を照らし、少し長い前髪に覆われた竜崎の額や頬に青白い影をおとしているのがその視界に入る。
 色が白いとは前から思っていたが、こうしてみるとそれが一層際立ち、滑らかさと相まってまるで男の顔に妓の肌をはりつけたような質感に見えた。
 「………………」
 月は横になったまま、手慰みのように右腕を竜崎にのばした。起きやしないか逡巡ためらうように幾度か掌を竜崎の顔の上を旋回させ、やがてそっと中指だけを羽毛が触れるようにその頬におろした。
 女ほどの柔らかさはないその肌を、撫でるようにゆっくりと指をすべらせる。顎まで行き着くと、その辿った跡を消すかのように指の背で逆に撫で上げ、腕を引っ込めた。
 その10秒足らずの月の動作の間も、竜崎の瞼が開く気配はない。
 (どうかしている)
 自分がした行為の意味も分からず、月は微かに嗤うような息を漏らし頭を横に振った。
 中指の、竜崎に触れた部分が痺れるように重たくなっている。
 他意のない、くだらない行為だと思いつつ、月は再び腕をもたげた。竜崎の呼吸を感じられるほどの至近距離に手を近づけると、胸の奥からわきあがる何かがさざめくように震えるような奇妙な感覚に襲われた。

 どうかしている。

 そのまま竜崎の顔の上を這い登らせるかのように、月は手のひらをその額の真上まで移動させた。額を覆う黒髪をそっと指でかき上げると、閉じた瞼や睫毛があらわになる。
普段はその前髪の隙間から人を見透かすような強い視線をよこす眼が、いまは安らかに閉じられている。
 髪を梳くように撫でてみると、ばかみたいに心臓が高鳴った。
 一体なんなんだ。
 明け方も近い夜中に、隣で眠る男の顔を眺めている。それだけでもおかしな行動なのに、こうしてその正体のない相手に触れて気分を高揚させている。
 竜崎が起きやしないか変質的なスリルを感じているのか、それとも……。
 自分自身の不可解な感情にとまどいながらも、月は竜崎から手を離して目を閉じようという気にはならなかった。
 ただなにを考えるでもなく、竜崎の髪を弄んでいた指を離し、さっき這い登らせたのとは逆に口元までゆっくりと掌を下ろした。
 「竜崎……」
 自分でようやく聞き取れるほど微かに竜崎の名を呼んでみる。
 もちろん、応えは返って来ない。ただ沈黙した空気が、昼間と違いまとわりつくように重く感じた。
 竜崎が応えないのを確認したかのように、月の腕が再び動く。
 指先をそっと下ろし、その薄く開いている唇に触れた。
 口から呼吸していたせいか少し乾いていて、その感触は思いのほか柔らかい。
 左胸が痛いほど脈打つのを感じながら、月は触れた竜崎の唇を指でそっと押し、まるで紅を引くような仕草で端からたどった。
 対端まで行き着いてゆっくり指を離すと、さっきと同じ痺れるような感覚が指の腹に残っている。
 「………………」
 月は横たえていた上半身を起こすと、音を立てないよう竜崎の頭の横にそっと手をつき、上に覆いかぶさるようにして竜崎を見下ろした。
 自分の下で無防備に寝息を立て続けている男の唇を、再び優しく撫でる。
 いったい何をしているんだ。
 わからないまま、引き寄せられるように月は身体をゆっくりと沈ませた。
 竜崎の顔が近づく。
 (寝ている相手にこんなこと……)
 バカみたいだ、と自傷しながらも、月は静かに竜崎を見下ろしたまま顔を近づけていった。


 「月くん……」
 「!」
 唇がふれ合う直前で、竜崎が吐息混じりに呻いた。
 はっとして月は身体を竜崎から離し、息を詰める。起こしてしまったのだろうか。
 いや、もし今の自分の行為に気づかれていたのだとしたら、なんと弁解すれば良いのだろう。
 月らしくなく内心動揺しながら、息を止めたまま竜崎の顔を食い入るように見つめた。

 「…………………」
 一分が経過しても、竜崎の目は開かれず、ただ規則正しい寝息しか聞こえてこない。
 ただの寝言か……。
 月は安堵したかのように大きく息を吐き出すと、ごろりとシーツに身を沈ませた。
 こんなことは心臓に良くないなとぼんやり考えつつ、眠れそうにもない目を閉じる。
 カーテン越しにも、窓の外がぼんやりと仄明るくなってきたのが分かった。
 自分と竜崎を繋ぐ鎖がチャリ、と細かな音を立てたが、月は目を開けなかった。




 「おはようございます、月くん」
 「うん……?」
 微かに揺り動かされて薄く目を開けると、朝日がいっぱいに射し込んでいる部屋の中、竜崎の顔が自分を見下ろしていた。
 「もう7時半ですよ。珍しいですね、月くんが寝坊なんて」
 月はああ、と生返事をしながらだるそうに身体を起こした。さっき眠りについてから二時間も経ってないだろう。
 「それにしても」
 竜崎が呟くのを聞きながら、月は掌で口元を押さえながら大あくびした。
 「月くんがそういう人とは思いませんでした」
 「はあ!?」
 思いがけないその言葉に、あくびの途中だった月は、顎が外れたような表情で勢いよく竜崎の方を振り向いた。
 「どっ、どういう意味だよ竜崎……」
 もしかして、やっぱりあの時竜崎は気がついていたんだろうか……!?
 背中にだらだらと冷たいものが走るのを感じながら、月はつとめて平静を装った。
 「こうして月くんと眠るのは危険かも知れません」
 危険!!?
 確定的な竜崎の呟きに、月は頭の中で必死に弁解の言葉を探した。
 まずい。まずすぎる。
 いったいなんと言えば明白に竜崎が納得するような言い訳ができるのか。さすがに『ちょっとしたイタズラで竜崎の寝顔にキスしようとしました』では通らないだろう。
 (いや、ど、動揺しちゃ駄目だ……なんとかしてごまかす方法を……!)
 月は引きつった笑顔を浮かべながら、必死に心を抑えて「なあ竜崎……」と口を開いた。
 そんな月の努力をよそに、竜崎はため息をついてうつむくと、言葉を続ける。

 「月くんは結構寝相の悪い人だったんですね。知りませんでした」

 …………………は?
 「昨夜は月くんが寝惚けて私の上に乗ってくるものだから、苦しくて目が覚めてしまいました」
 そう言って再びため息をつく竜崎を、月は滅多にみせないような呆けた表情で見つめていた。
 しばらくしてはっと弾かれるように正気づくと、はは、と乾いた笑い声を上げ、頭を掻きながら「そ、そうか……すまない、気がつかなかったよ」と棒読みで呟いた。
 (と、とにかく……勘違いしてくれてて、よかった……のか?)
 アレを寝惚けた上の行動ととっているということは、竜崎こそ寝惚けていたのだろう。
 本気で寝相の悪い竜崎に寝相のことで苦情を言われるのはなんだか癪のような気もしたが、キス未遂がバレて変態扱いされるよりはよっぽどましだと月は溜飲を下げた。
 「月くん?どうかしましたか?」
 「!」
 脱力したようにうつむいている月の顔を覗き込むようにして竜崎が声をかけてくる。
 その唇に昨夜の自分の行為を連想し、月は思わず顔を赤らめた。
 「いっ、いやなんでもない!」
 「月くん、顔が赤いですよ」
 「!!」
 
ああ、今夜も眠れそうにない……とぼんやり考えながら、月は僅かに熱をもった顔を手で覆い、ため息をついた。



                            end.






 記念すべき初めての月Lでございます。
  五巻を読んでもぅしんぼうたまらんと衝動的に書いたSSです。なんとゆーか、白ライト萌!!
  手錠ネタはまだまだ書きたいです!(エエ手錠ネタなんです、コレ)
  手錠でつながれたふたりの甘々ライフ……想像するだけて鼻血が…(変態)
 
  最後まで読んでくださってありがとうございました〜v



   update---2005.2.10