「竜崎、好きだ」
 「……どうしたんですか突然」
 「抱いても良い?」
 そう云いながらやけに子供じみた仕草で抱きしめてくる男をみた。
 「……何かあったんですか。ヘンですよ、夜神くん」
 背中をまさぐる手にわずかに力がこもる。

 暖かい掌。

 そういえばいつからだろう、私に触れるこの掌が暖かく感じられるようになったのは。
 はじめて触れられたときも、その次も、その次も確かにこの男の手は私の肌より冷たかった筈なのに、いつからなのか今では私を常温に溶かすかのような熱をもって触れてくる。

 その暖かな手は、微かに震えているようだった。

 「寒いんですか?……やっぱりヘンです、…月くん?」
 「……竜崎、好きだ」
 「……知ってます」
 いっそう手に力がこめられる。
 まるで僅かでも身体が離れることを恐れているかのようなその仕草。
 私は抗わずにその肩に顔を埋めた。

 「そんなに力を入れたらくるしいです」
 「竜崎、嘘でもいい。たったいちどでいいから」
 「え?」


 「愛してるって云って」


 消え入りそうな、か細い声。
 …以前の彼からは想像も出来ない。

 「……愛してるなんて、夜神くんは急にずいぶん感傷的なことを言うようになりましたね」
 彼の掌が、私の存在を確かめるようになんども背を撫でる。
 「でないと、なんだか、……消えてしまいそうなんだ」
 「…なにがです」
 「わからない……けど、ただ」

 「怖い」

 私は、応えなかった。
 今にして思えば彼を愛していなかったわけでもなく、嘘でもいいからとまで云って懇願する彼に愛の言葉を吐くことくらい何ということでも無かったはずなのに、その時、何故か言葉は出てこなかった。
 黙ったまま腕の中でじっとしていた私を、彼はただ抱きしめたままでいた。
 「竜崎、竜崎、……」
 「………月くん?」
 唇が、こめかみに触れた。
 「愛して」


 助けて。


 鼓膜に焼け付くように共鳴する言葉を残してその夜以来、私に触れる掌から熱は、
 消えた。




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 白い肢体が、闇に浮かびあがる。

 その身体を揺さぶるたびに、あからさまなほどに高い嬌声が響く。
 深く奥まで飲みこませたままつよく腰を突き上げると、竜崎はひきつれるような悲鳴をあげて背を反らせた。
 悦楽に歪んだ淫猥な表情。
 薄紅をさしたように赤らんだ目元。
 それよりもあざやかに朱い唾液でぬかるんだ唇は、それ自体から蜜が溶け出しているのではないかと思えるほどに蠱惑的だ。
 「あ…あ、…夜神く……ィトくん、月くん…っ…」
 竜崎は黒い髪を振り乱して、熱のうわごとのようになんども僕を呼ぶ。
 竜崎が僕を名前で呼ぶのはきまってこの時だけだ。
 そのあざとさに辟易する、と思考は冷めていくのに反して身体の熱は上がっていく。
 「月くん」とその単語を竜崎が舌に乗せるたびに、体温がじりじりと上昇していくように熱かった。
 それでも飲み込まれてはいけない。
 欺かれてはいけない。
 竜崎は思考を放棄したように喘いでみせても、その痴態の狭間に残した理性で僕を監視している。
 僕が享楽におちるその瞬間を、冷徹な追跡者の目で見つめているのだ。
 「あぁ…っ───」
 殆ど乱暴に近いほど荒々しく腰を打ちつけ奥まで穿つと、竜崎がひときわ高い声を放って吐精した。
 瞬間、内部の柔らかな襞がぎゅうと収斂する。
 不意にきつく締めつけられて、ひきずられるように僕は竜崎のなかに精液を吐き出した。
 「あ……」
 竜崎の肩に顔をつけたまま荒く息をついていると、無意識にか竜崎の手が髪に絡んでくる。
 どんなに悦がってみせても、泣いてみせても、媚びてみせても、
 竜崎のすることなんてこればかりも信用ならない。
 「月くん…」
 また熱があがる。忌々しいほどに。
 僕は上体をわずかに起こすと、愛撫のような手つきで掌を竜崎の首筋にすべらせた。そのまま優しく首を覆う。
 細い首。
 少し力をこめればすぐに折れてしまいそうだ。
 このまま少し力をこめればすぐにけりがつく。

 まるで罠だ。

 頭の奥が痺れるような眩暈をおぼえた。
 竜崎はだらりと身を投げ出してされるがままでいる。
 薄く閉じられた瞼の向こうで黒い眼が嗤ったような気がした。

 甘美な誘惑をはらんだ罠。

 僕はいつ、この足を掴まれるのだろうか。





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言葉





 僕はつい 見えもしないものに頼って逃げる

 きみはすぐ 形で示してほしいとごねる


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 「そんなに難しいことでも無いでしょう」
 「難しい難しくないの問題じゃない」
 「じゃあなんです」
 「だから……、こういうのって、空気で察するというか、雰囲気で察するというか………とにかく、そういうものだろ?」
 「ちゃんと形にして貰わないとわかりません」
 「……だから…」
 「心の中で思っているだけなら、何も考えていないのと同じことです」
 「…………」
 「云ってください。ちゃんと」
 「……云わなくたって、竜崎は分かってるじゃないか」
 「はい。でも、聞きたいんです。夜神くんの口から。……でないと、わかっていても、不安になります」
 「…………」
 「…………」
 「……一回だけだぞ」
 「はい」


 「×××××」


 「…………」
 「………これで文句ないだろ」
 「はい。…………夜神くん」
 「なんだよ」


 「顔、真っ赤です」





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好き嫌い





 「嫌です」

 夕食中、たまにはきちんと野菜も食べたらどうだ、と注意した僕に、竜崎はいつもの無表情でにべも無く切り返してきた。
 「嫌、って……良くないだろ、健康に」
 「嫌いなんです」

 取りつく島もない。

 僕は短くため息をついて、後頭部をがりがりと掻いた。
 「好き嫌いなんて子供みたいなこと云うなよ…。じゃあ、ホラ……ミニトマトくらいなら食べられるだろ」
 そう妥協策を提案して、グリーンサラダの中からトマトだけを皿に取り分けてやる。
 そんな僕の動作を、竜崎は面倒くさそうに横目で見ていた。
 「無理です。食べられません」
 「苺は好きなくせに?」
 「別物です」
 丁寧にへたをとり、子供にするように「ホラ、あーん」と口もとに運んでやっても、ふい、と顔を背けたっきりこちらを向かなくなる。

 何たる意固地。

 「こんなに美味しいのに」
 僕は摘まんだミニトマトを自分の口に放り込んだ。
 噛み潰すと、はじけた皮の内側から、甘酸っぱい果汁が口の中に広がる。
 そのままそっぽを向いたままの竜崎の顎を捉えると、強引にそのくちびるに口付けた。
 「ん……!」
 反射的に避けようとする肩を押さえ込み、口の中のトマトの果肉を舌で竜崎の口内に押しいれる。
 「んう、んんッ……!!」
 暴れる竜崎が大人しく観念するまで、唇ははなさない。
 やがて諦めたのか、抵抗を止めた竜崎の喉が、ごくりと鳴った。
 口の中にトマトが残っていないことを確認すると、ようやく僕は竜崎を解放する。
 「食べられるじゃないか」
 にっこり笑ってそう言うと、竜崎は真っ赤な目元で息をつきながら、ぎろりと僕をにらみつけてきた。
 「…………今度やったら蹴り入れますから」
 低く脅すように言い放たれる言葉も、潤んだ目で見られていたんじゃあまり効果はない。
 飲み下しきれなかった唾液と混ざり合った赤い果汁がその濡れたくちびるを汚し、端から顎へ垂れ落ちていた。
 そんな様にも、ぞくりとした慾情を覚える。
 「やらしい」
 にやにやと唇を歪めると、竜崎はあわてて袖で口もとを拭った。


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 「ご飯終わったら、してもいい?」
 「知りません」





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リスキーゲーム





 「月くんはきれいですね」

 隣に座っていた竜崎が独白のように呟く。
 「きれいで真っ直ぐで挫折するということを知らない。さぞかし順風満帆の人生を歩いてきたんでしょうね」
 薄く笑みを浮かべて放たれた言葉に皮肉めいたものを感じ取り、月は露骨に眉を顰めた。
 「苦労知らずのお坊ちゃんだと言いたい訳か」
 「いいえ」
 竜崎の横顔はどこか愉しげに見える。
 「ただ時々、そんな月くんを見ていると無性に苛々します。その真っ白な精神を汚してみたくなる。折れたことの無い自尊心を酷く手折ってみたくなるんです」
 竜崎がこちらに視線を寄越してわずかに微笑んだ。
 「屈折してますか?」
 その口からこぼれる毒をふくんだ台詞とは裏腹な、相変わらずの無表情。
 月は竜崎に一瞥をくれるとパソコンに向き直り、椅子に身体をあずけた。
 「いや。それを言うなら僕もだ」
 背凭れがわずかにたわみ、スプリングが音を立てて軋んだ。
 「竜崎の、その何でもお見通しと云わんばかりにすました無表情を見てると、ホント腹が立ってくるよ。何もかもめちゃくちゃにして、立ち直れないくらいに叩き潰してやりたくなる」
 なんの感慨も無いといった様子で悪意に満ちた言葉を吐き捨てた月に、竜崎は一瞬目を見開いた。
 月が視線だけを動かし、竜崎の方を見やる。
 目が合うと、竜崎がいっそ下劣なほどのやり様で唇をゆがませた。
 かつて一度だって見せたことの無い、凄惨なほどに醜悪で、蠱惑的な笑み。

 ああ、やっぱり。これがこいつの本当の顔だ。

 竜崎が椅子から降りて立ち上がる。
 月は道に転がっている石を見るような表情で、デスクと自分の間に入り込み自分を見下ろしている男をみた。
 着ていたシャツが目の前で捲り上げられ、その下の透けるように真っ白な腹が露になる。 竜崎は、嗤ったままだった。


 「試してみますか?」


 壊れるのは、どちらか。

 月は黙ったまま、自分に凭れかかってくる細い身体を見つめる。
 落ちてくる身体とともに、暗闇が口を開けたのが感じられた。


 呑みこまれるのは自分か、それとも。