設定捏造注意。






退屈






 「興味深い子がいる」



 ロジャーが私にそう言ったのは、私がしばらく振りに彼の院を訪れた時のことだった。


 窓の外からは午後の柔らかな陽射しとともに、ちょうど昼休み時間なのだろう、サッカーや鬼ごっこに興じる子供たちの楽しげな歓声が聞こえてくる。ここの養護院では当たり前のこの午後のひと時が、私はとても気に入っていた。
 私は院長室に据え付けられた革張りの古びた応接用のソファにロジャーと向かい合うようにして座り、たった今用務員の女性が置いていったばかりの紅茶のカップに手を伸ばして言った。
 「興味深い?」
 淹れたての熱いお茶を冷ますようにふう、と軽く息を吹きかけると、火傷しないよう慎重にすする。一口飲んだところでカップを置いた。
 「どういう風に?」
 「半年ほど前に此処にやってきた子なんだが」
 ロジャーも私の動作に習うように、目の前のティーカップをソーサーごと取り上げる。
 「何か、問題のある子なのかね?」
 「いいや。大人しくて多少他人と距離を置くような性質ではあるが、とても賢い子でね。トラブルを起こしたり、院規範を破ったりなどというような生活態度に問題があるということは全くない」
 そこまで言うと、話を区切りロジャーはカップに口をつけた。
 「それでは?」
 いつもは朗々と快活に喋る彼が、珍しく言いよどむように視線を泳がせている。
 私がその曖昧な態度に小首を傾げ、話の続きを促すと、ロジャーは軽く息を漏らしてソーサーをテーブルの上に置き、掛けていた丸縁の眼鏡を外した。
 外では相変わらず子供たちが元気にはしゃぎまわっている。施設の煉瓦の壁と細い樫の木に囲まれた中庭いっぱいにその明るい声は溢れていて、しんと静まったこの院長室の空気を引き立たせるようだった。
 ロジャーは眼鏡のレンズをジャケットの胸ポケットにいつも入れている小さな布で拭きながら、そのいつになく重たそうな口を開いた。
 「ジョーンズウッドの事件を知っているかね?」
 私は突然の思いも寄らぬその質問に、戸惑いながらも「ああ」と答えた。
 「確か、一年以上前に起きた……未解決の連続殺人事件だ」
 「そう。キングスロッド郊外のジョーンズウッドで三ヶ月の間に三件、六人が殺害された」
 レンズを綺麗に拭き終えると、布を再び丁寧に折りたたんでポケットに仕舞う。殆ど日常の中で癖になっているのだろうその動作を終えると、ロジャーは眼鏡を掛けなおし、私を真っ直ぐに視界に捉えて言った。



 「あの子は、その事件の一番最初の犠牲者の子供なんだ」





 昼休みの終了を知らせるベルが施設の棟全体に響き渡る。
 それに弾かれるように、次々と施設の中に戻っていく中庭の子供たちの声は段々と小さくなっていき、やがて聞こえなくなった。
 部屋の中には沈むように静まり返った空気だけが残り、カチカチと定期的に鳴る置時計の秒針の以外にはまるで音が抜け落ちたようで、それは耳が痛いほどの静寂にも感じられた。
 しばらくの間私もロジャーも黙ったまま、互いに沈殿していく空気に身を委ねていた。

 「……あの子が此処にやってきたのは去年の十月頃のことだ」

 その静寂をかき消すように、ロジャーが口火を切った。
 「ジョーンズウッドで最初の事件が起きたのはそのおよそ半年前の五月。彼とその両親の暮らす家に白昼堂々何者かが押し入り、室内に居た夫妻を殺害。一人息子だった彼はその日友人宅に遊びに出かけていて、一人難を逃れた……」
 私は独白のように坦々と話す彼の口元を凝視した。
 「室内には争ったような形跡もなく、何も盗られた様子もない。また夫妻は温厚な人当たりで近所でも評判でこれといった目立ったトラブルもなく、怨恨による犯行という見方も難しかった。目撃証言もなく、残された物的証拠も少ないことから捜査は難航……そしてその事件から三ヶ月の間にジョーンズウッド近辺で立て続けに他二件、四人が同じような手口で殺害されたことから警察は一連の事件を同一犯による犯行と断定、連続殺人事件として現在も捜査を続けている」
 ロジャーは再びソーサーを手に取り、紅茶を一口飲むとカップを静かにその皿の上に乗せた。カチャリと食器の擦れ合う細かな音が、やけに大きく室内に響く。
 「事件の第一発見者は、殺害された夫妻の十二歳になる長男だった」
 「!」
 「その日の夕方、友人宅から帰宅した彼はリビングで変わり果てた姿となった両親を目撃した……」
 私が何も語ることが出来ないまま身じろぎすらせずに話に聞き入っていると、ロジャーは僅かに腰を浮かせソファに座り直し、手指を腿の上に軽く組み合わせると言葉を続けた。
 「両親共死因は木工用の小型の鉈で頭部を十数回に渡って殴られたことによる失血死。その殺害現場は凄惨なもので、ベテランの捜査員でも直視できないような有様だったそうだ」
 「……………………」
 私は視線を落とし、まだカップに半分以上残っている赤褐色の透明な液体を眺めた。すっかり冷めてしまっていたそれを手に取り、一口飲むと渋い苦味が口の中に拡がる。
 「彼はその事件後五ヶ月間専門家の元でカウンセリングを受け、その後引き取り手が無かったことからこの養護院へやって来ることとなった」
 そこまで話し終わるとロジャーは静かに席を立った。窓際に置かれたデスクに向かい、引き出しから茶色い封筒を取り出すとその中からB5判の用紙を数枚抜き、それを持って再び席に戻る。
 「その子の資料だ」
 差し出されたその紙の束を、私は無言のまま受け取った。
 手元に引き寄せその資料に目を落とすと、一枚目の用紙にはその子供の氏名、年齢、本籍などの一通りの個人情報が黒インクで印字されており、正面からの顔写真も添付されていた。意志の強そうな、まだあどけない顔立ちの少年が写っている。アジア人と思しき容姿だったことに私はいささか驚き、ロジャーを見上げて「中国人?」と訊ねた。
 「いや、彼の母親は日本人、父親は日系のデンマーク人だ」
 私は喉の奥で「日本人……」とロジャーの言葉を繰り返した。
 その少年はその血の3/4が日本人であることを物語るかのように整ったアジア人の目鼻立ちに黒い髪、黒い瞳をしていて、父方の欧系の特徴といえば肌の白さくらいのものだった。
 一枚目を捲ると、二枚目にも少年の経歴に関する情報が続いて羅列されており、そのページの上にはクリップで一枚の写真が留めつけられていた。
 数人の同じ年頃の子供が並んで写っているその写真の真ん中で、当該者の少年がテニスラケットを手に、心底楽しそうな笑顔を浮かべていた。写真の日付は一年半前のものだった。
 顔立ちや容姿は一枚目の顔写真と同じではあったが、一見しただけではまるで同一人物とは思えないほどその写真から受ける印象には大きな落差がある。年相応の笑顔を見せている集合写真のそれと比べると、一枚目の写真の彼の目に宿っている病的な暗い深淵が、少年の身に起きた悪夢の程を如実に表しているように感じられた。
 ページを捲ると三枚目からは殆ど彼の両親の事件に関する記述で、次に彼のカウンセラーによる資料が続いた。私は斜め読みするようにざっと目を通してはページを捲っていったが、ふと、彼のサンプリング・テストに関するある一行に注意を引かれ手を止めた。
 「………………………」
 テストを繰り返すうちに、彼の思考についてある疑問を持った担当医が知能テストを行ったことについての言及で、横にそのテスト結果が表になって記されている。
 私は思わず目を疑った。

 IQが著しく高い。

 一緒にグラフに添えられている同じ年代の子供の平均値と比較してもその値がずば抜けているのが分かった。
 「……………これは…」
 驚きを隠せずに私がロジャーの顔を見やると、私が何を言わんとしているのか察したのかゆっくり顎を縦に振った。
 「それは一年前……彼がまだ12歳の時の資料だ。以来正確なテストを行ったことは無いが、その時点で彼のIQは一般的な大人の平均値をも凌駕している」
 私は言葉を発することが出来ず、ただ紙の上に印字されている無機質なintelligence quotientの綴りを見つめ、その上を指先で辿った。


 突然、部屋の空気を打ち破るような派手な音を立てて、入口の両開きになったドアが開かれた。
 「!?」
 一体何事かと振り返ると、途端に小さな男の子が部屋になだれ込んでくる。
 その子供はソファに腰掛けているロジャーを確認するや否やそばに駆け寄ると、その膝にかじりついて甲高い泣き声を上げ始めた。
 「ロニー、今日は大事なお客さんが来ているから部屋に入ってはいけないといっただろう」
 ロジャーは困ったような声音で嗜めると、立ち上がってそのロニーと呼んだ男の子を抱え上げ、その顔を覗き込んだ。
 「またダグラスにいじめられたのかい?」
 その涙にまみれた頬を皺がれた指で擦ると、ロニーは喋ることも出来ないほどに大きくしゃくりあげながら何度も頷く。
 「やれやれ」
 ロジャーは苦笑を滲ませたため息をつくと腕に抱いていた小さな身体を床に下ろすと、一連のやり取りを傍観していた私の方に向き直って言った。

 「棟の方に用事も出来てしまったことだし、その子の部屋へ案内しよう。まあ、私の口から説明するより直接会って話した方が早いだろう」






 三つに分かれている古い棟のうち、東の棟の二階、一番奥の部屋にその少年はいた。


 ロジャーは『2055』のナンバープレートが取り付けられた、古びた木製の扉を三度軽くノックすると、『入るよ』と声を掛けてドアノブを廻した。
 扉を開くロジャーの後に続いて部屋の中に入ると、少年がひとり、窓際に座っているのが見て取れた。逆光で表情までは判らなかったが、その黒髪とほっそりとした背格好から写真の少年であることは即座に判断できた。
 合い部屋用の決して広いとはいえない室内は、ベッドがふたつとふた揃いの机椅子が壁際に並べられている他は入り口脇に棚が据え付けられただけの簡素な造りだった。同室の子はいないようで、片方のベッドにはマットレスがむき出しのまま置かれており、その上には雑多に物が投げ出されていた。
 私が軽く部屋を見回している間に、ロジャーは少年と何か一言二言話すとそのまま部屋を出て行ってしまった。
 取り残された私はわずかに戸惑いを覚えたが、少年が手にしていた本のページに栞を挟んで閉じたのを見て、「読書の邪魔をしてしまったかな」と声を掛けた。
 少年は「いいえ」と答えながら、無造作に机の上で山を築いている書籍の上に更にその本を重ねると、なんの感慨もなさそうな抑揚のない声で「もう読み終わった本だから」と呟いた。
 見れば部屋の中には膨大な数の本が溢れていて、棚に収まりきらない分がそこここに積み上げられている。ざっとタイトルを見ても、哲学書や古典文学、経済学、社会民族学とそのジャンルはいっそ節操が無いと思えるほど多岐に渡っていて、私は密かにため息をついた。
 「君はよほど本が好きなんだね」
 手近にあったうちの一冊を手に取ると、何気無しに捲りながら感心を込めてそう呟いた。中表紙に箔押しされたカントの文字を指でなぞる。とてもじゃないが、普通この年頃の子供が好んで読むような本ではない。
 「時間が無いから」
 「時間がない?」
 少年の呟きに私は顔を上げ、おうむ返しに繰り返した。
 少年は椅子の上に両足を乗せ、膝を抱えるようにして座ると窓の外に視線を投げた。
 「知りたいことはまだまだ沢山あるのに、一生のうちに読める本の数は限られてる。だから時間が無い」
 「…………………」
 つまらなそうに景色を眺めている幼さの残る横顔から発せられる言葉に、私は茫然と聞き入ることしかできなかった。

 これでこの子はまだ13歳なのか……。

 何か特異なものを目撃しているかのようにその顔を見つめていた私に、少年は再び視線を戻す。
 「何か僕にご用だったんじゃないんですか、ワイミーさん」
 その言葉に、我に返った私は思わず怪訝そうに眉を寄せた。
 「名乗ったかね?」
 「いいえ。以前新聞であなたの発明に関する特許の記事を見ました。あなたの名前と経歴もありましたし、この養護院の創設者であることも書かれていました。それにロジャー院長の部屋にあなたの写真があったのでよく覚えています」
 当然のことを当然と語っているかのような淡々とした口調に、私はあっけにとられる。
 なんと気の利いた反応を返すこともできずに、私はただ「君はほんとうに賢い……」と率直な呟きを漏らした。

 
   それからものの五分、私と会話を交わしただけで彼は私がドイツ北部出身であることを訛りから推測し、現在アメリカに住んでいることまで言い当てた。
 さらに驚いたことに、少年は英語の他、両親の母国語である日本語、デンマーク語を操り、更にドイツ語も日常会話に不足はないようだった。滑らかな発音で流暢に独語を話す彼に私が感心していると、転勤の多かった両親のおかげで勝手に身についたのだと語った。

 「僕の両親の話は聞いているんでしょう?」

 唐突に発せられたその言葉に私がなんと答えたら良いのか考えあぐねていると、そんな私の様子に興味がないと云わんばかりの横柄な態度で「別に気を使っていただかなくても結構です」と吐き捨て、足を伸ばし椅子から立ち上がった。
 「僕は無力です。唯一無二の両親をあんな形で奪われておきながら、なにも報いる力を持たない」
 少年はベッド脇のボードの上に投げ出されていたルービック・キューブを手に取ると、再び椅子に元通り腰掛け、長く細い器用そうな指先で手慰みにそれを弄び始めた。本と壁に囲まれた色のないこの部屋の中でそのキューブだけが目に痛いほど派手な色彩を放っていて、それ自体がまるで異質でそぐわないもののように思えた。
 少年が無造作に赤や青の鮮やかなタイルをカチカチと回転させるたび、それぞれの側面に同じ色のタイルが魔法のように連なっていく。
 私はその様子を見つめながら、この目の前にいる半世紀も自分と年が離れていよう子供に、畏怖や羨望が入り混じった、身体の芯から震えが上ってくるようなえもいわれぬ不可思議な感覚に包まれていくのを感じていた。



 いったいこの少年に見えている世界はどんなものなのか。

 いったいこの先この少年はどんなものに変貌していくのだろうか。




 そう考えると、殆ど衝動的に私は口を開いていた。

 「力が欲しくはないかね」

私の言葉に、少年が視線を上げた。
「君の望みを叶えられる力が欲しくはないかね。今の君は持たざる者だ。望みを叶えられる資質がありながら、それを使う術を知らない。だが、私には君が持っていないものを与えることができる。───君の望みは何だね?」
 今にして思うと、自分は何故初対面の年端もいかぬ子供にこんな契約めいた約束を持ちかけたのか甚だ理解に苦しむ。ただこのとき、私は純粋に彼が力を得ることでどう変わっていくのか知りたいと望み、また彼の内面にはそうさせるだけの計り知れない何かが渦巻いているように私には感じられた。
 少年は私の紡ぐ言葉を無表情のまま聞いていたが、再び視線を手元に落とすと、何事もなかったかのようにキューブのブロックを何度か指先で廻した。カチリとひと際高い音が鳴り、見ればさっきまでばらばらだったはずのキューブのタイルは見事に色が揃えられている。
 完成したキューブを、少年は私に向けて差し出した。



「僕が望むものは“真実”────ただそれだけです」





それから彼は名前を捨て、『L』となり、私は『ワタリ』として彼の手足となった。

遠くまで見渡せる目を与え、 よく聞こえる耳となった。


そして、彼の世界を変える力となった。





養護院の片隅の部屋で彼と初めて会ってからわずか九ヶ月後、彼は私が与えたコネクションの全てを駆使し、彼の両親を殺した犯人を探し出し死刑台に送った。

この『ジョーンズウッド連続殺害事件』が、彼が『L』として最初に解決に導いた事件だった。

 そしてこの六年の後、『L』は世界の警察を牛耳る大いなる存在としてその名を知らしめることとなる。




 彼を見ていると、いつか読んだ書物の一節を思い出す。


 『翼を持つ土竜(もぐら)にとって、地上は退屈以外の何物でもない』


 事実、彼はLとして真実を解き明かし、世界をその手に掌握しているにも関わらず、何かしら満たされていないようだった。

 退屈は人を殺せる。

 そう呟いていた彼が、世界中の犯罪者が一斉に心臓麻痺で死亡しているというキラ事件の第一報を聞いたとき、まるで焔がついたような笑みを浮かべたのを、きっと私は生涯忘れることができないだろう。




Ende.



お疲れさまでした〜。
まずはとりあえず、すいませんでした。(土下座)
調子に乗って捏造し過ぎました。ホントすいません。
でも書いてて楽しかったです(オイ)
この話を書こうと思ったもともとのきっかけはbbsでのカキコだったんですが、
バイト中に突然ネタの神様が降臨なさり、上司に隠れてメモ用紙にプロットを切った感慨深い作品であります。
なんかパクリくさいと皆さんお思いのことと存じますが、いろいろきってはったような出来上がりに本人だけ大満足です。
ワタリはこんな人じゃない!とか、Lたんの一人称は私以外認めない!
……などの苦情は、先に警告しておきましたのでお受けできません(ニッコリ!)

内容としてはもう今更言い訳いたしませんが、Lと月って対極のようでいても実は同じ性質の人間なのかな〜というのが
根本にあった………筈でした(弱気)

Lのもとにワタリではなく死神が来ていたらどうなっていたんだろうとか考えてみたり…。

あんまり時間がなくって不本意な出来のままupしちゃったので、いつか手を加え直すかもです。
本編でLとワタリの話もゼヒやってほしいな〜!

あ、云うまでもありませんが、作中の地名・事件等は全くのフィクションですので。

それでは、最後まで読んでくださってアリガトウございましたv



update---2005.3.1