メランコリック・ブルー 10





 「口でして貰えますか」





 それのどこがどう妥協してるというのか。



 俺はニッコリと極上のスマイルを浮かべて見下ろしてくる悪魔の顔を思いっきり睥睨した。とんでもない二択だ。まさに究極の選択。
 というか、どっちに転んでも分が悪いのは俺だけじゃねえか!

 「どちらが宜しいかはあなたにお任せしますよ」

 何もなかったことにして速やかに席に戻るという三番目の選択を俺は推奨したいんだが。
 古泉の返答は勿論却下だ。

 嫌な汗が背中を伝う。
 下を向き、目を閉じて大きく息を吐いたあと、ちらりと、もう一度古泉を見遣る。
 古泉は同じ笑顔を作ったままで、冗談ですと言い出してくれそうな雰囲気は微塵もなかった。


 口で。古泉のを。


 想像だに怖気が走る。
 何が悲しゅうてゲイでもない俺が男のモノを咥えねばならんのか、などと考えるとあまりの事態にこめかみがガンガンしてきた。

 いや落ち着け俺。冷静に考えろ。
 こないだのように無理やりアレを突っ込まれる苦痛と比較すれば、まだそっちの方がましだと言えるんじゃないか?
 そうだ、少しだけ我慢して古泉の言う通りにすれば、少なくともあれほど甚大に体力を消耗させられることもないし、身体の負担だって―――

 「……っむりだ、そんなの」

 泣きそうな声が出た。
 口でなんてどう考えても無理だ。出来るわけがない。
 頼むからそれだけは勘弁してくれ、と懇願するような目で古泉を見ると、


 「そうですか。じゃ、入れますね」


 こ…この鬼畜めが!!!
 笑顔全開で、入り口で動きをストップしていた指に力が篭められる。
 ぐり、と第一関節まで捩込まれた感触に、俺は完全な泣き声を上げて古泉にしがみついた。

 「っひ、…わかった!やる!!やるから…ッ!!」



 身体的負担覚悟で要求を突っぱねるか。
 矜持を捨てて貞操の保守を計るか。

 両方天秤にかけて、ちょっとだけ、ほんのちょっとだけマシだと思えるほうを
 俺は選択した。

 それだけだ。











 洋式便座の蓋に腰掛けた古泉の前に、渋々しゃがみこむ。
 ものすごく抵抗があったが、古泉に凭れるのも癪だったので格子模様のアイボリーのタイルに膝をついた。
 それなりに設備の調った施設で、清掃も行き届いているのがせめてもの救いだ。
 何の慰めにもならないがな。

 古泉はニヤニヤしたっきり、俺のするに任せたいらしく全く動こうとしない。くそ。
 仕方なくベルトを緩め、前をくつろげる。
 たったそれだけのことに手が震え、思うように動かなくて難儀した。

 「……、っ…」

 取り出した古泉のモノは既に勃ち上がっていた。
 爽やかな二枚目にそぐわないグロテスクな風体のそれに、俺は言いようもない畏怖と羞恥を覚える。よく考えるとこんな間近で直視したのは初めてだ。
 観察したいとも思わないが。
 しかし、こんな兇悪なモンあんなところに入れやがったのか…こいつは。

 「…………」

 流石に、いざ口に含むとなると憚られる。
 いくらか躊躇うように視線をさ迷わせていると、古泉の掌が優しく髪を撫でつつ促してきた。口内に溜まった唾液を一旦飲み込む。俺は腹を括って口を開けた。

 「…、……ん…、ぅ…」

 舌をのばして、おずおずと先端を舐める。
 今の自分の姿を想像すると本気で泣けてくるので、目を固く閉じて、なるべく他のことに意識を持って行こうと努力した。
 そうだ、アイスか何かを舐めていると思えばいいんだ。

 「舐めるだけでは駄目ですよ」

 忠告するような声に笑いが混じっていて非常に腹が立つ。
 明らかに愉しんでやがる。

 「ん、…む……、ッ…」

 俺は眉根を寄せつつも素直に口を大きく開けて、雁口を迎え入れた。
 幹をくちびるで辿っていくと、根本まで行かないうちに舌を圧されて反射的にえづきそうになる。何とかやり過ごして堪えたが、喉の奥まで古泉が這入り込んで苦しい。
 呼吸すらろくにできない。

 「そう、…歯は立てないで下さいね」

 髪をあやすように梳かれながら、優しく囁かれる。
 噛みちぎってやろうか、などと物騒な考えが浮かぶのも仕方がないと言うものだろう。
 もう何でもいいから一刻も早く終わってほしい。
 その一心で舌を動かす。

 「…、はァ、……っ…、……ッ…」

 扱くように唇をすぼめて行き来させると、咥内を刺激され唾液がどっと涌いてきた。
 それを絡めるようにして、舌を押し当て柔い皮膚を擦りたてる。動かすたびにぬちゃぬちゃと聞くに耐えない卑猥な音が、直接自分の身体の中から聞こえてくるみたいだ。
 裏側にあたると反応が良いような気がして、そこばかりを丹念に愛撫した。

 ちら、と上目使いに古泉を伺う。
 表情は笑んだままではあったが、ある程度は快楽を感じているのか、整った眉が少しだけ顰められていることに、僅かでも古泉の余裕を剥ぎ取ってやったような気になって不本意ながら嬉しくなった。

 「んっ…、…く……、ふ、」

 俺の唾液なのか古泉の体液なのかわからないものが、唇からあふれてだらだらと顎を伝う。ぬるついて気持ち悪いが、そんな物を飲み下すほうが勇気がいるのでそのままにしていると、「やらしいですね」と揶揄された。放っとけ。

 「そろそろ…、出そう、です」

 吐息混じりに待ち侘びた台詞が聞こえた。やっとか。
 いくらかほっとしつつ口を離そうとすると、手の平で後頭部を押さえつけられる。

 「ふッ、…ぐ…!?」
 「顔にかけてもいいですか?」

 何言い出すんだこの変態は!!

 願射なんて行為はAVの世界だけまかり通るプレイだろ!
 俺にはそんな嗜虐されて喜ぶ趣味はない!
 容赦なく喉の奥を突かれてせり上がってくる吐き気と闘いながら、俺は必死にこうべを振って拒否の意思を示した。


 「そうですか。…じゃあ、やっぱり飲んでもらうことにしますね」


 !?


 台詞を理解して驚愕の表情を浮かべる前に、どくんと頬張ったものが
 脈打ったかと思うと、

 「んんッ!?、ぅぐっ…、っ…、んー…!!!」

 出された。思いっきり。
 頭を固定されては逃げられるはずもなく、喉の奥に生温い飛沫が浴びせられる。
 どろりと粘っこくひっかかる液体が器官をすべり落ちて、俺は反射的にそれを嚥下した。
 青臭い独特の匂いと、苦味が広がる。

 「ぐっ…、ぅッ、…!!!」

 生理的な涙で視界が曇る。
 ずるりと抜き去られる瞬間舌の上にもこぼれ、口内に残ったそれを吐き出そうと口許に手を当てると、

 「全部飲んでください」

 ぐいっと顎を掴まれ、上向かされる。
 吐き出したらもう一度させますよ、ととんでもない台詞を吐かれ、俺は噎せそうになる咽喉の筋肉反射を何とか押し止め、口の中に溜まったものを唾液とともに飲み下した。

 「…ッげほ、…はぁ…、はー……」

 ようやく口を開いて空気を取り入れると、口の中に残っていないのを確認するかのように古泉の指が侵入し、粘膜を探る。

 「よく出来ましたね。…気持ち良かったですよ」

 要らない感想とともに、嬉しそうな表情の古泉が口づけてきた。
 すぐに舌が入ってきて深いキスになる。
 仮にも自分のものをくわえさせていた口にキスするなんて救いようもない酔狂だ、などと廻らない頭で考えていると、その状況はそのまま自分にも当て嵌まることに気付いて死にたくなった。

 「……ん、……っ」

 互いの体液を混ぜ合うような激しい口づけに、俺はもはや抵抗する気力もなく為すがままでいながら、ただひたすらに頼むから古泉が続きをしようなどと考えませんように、と願っていた。















 「気持ち悪……」



 静寂が降りたままのロビーにある長掛のソファで、俺はぐったりと両手で顔を覆って溜息した。
 両開閉扉の閉まっているシアターの方から、時折漏れる音響が微かに聞こえてくる。
 上映終了時間十五分前。
 ストーリーもそろそろエピローグだろう。まだ誰も出て来る気配はないが、今更入り直して見ても仕方がない。そういう心境でもないしな。

 「大丈夫ですか」

 戻って来た古泉が、売店で買ってきたカップを差し出した。
 無言でそれを受け取ると、すでにプラスチックの蓋に挿してあるストローを深くくわえ、喉を鳴らして内容物を飲み込む。
 リクエストを聞かれて何でもいい、と答えたら、コーラを選択したらしい。
 ちょうど良かった。
 これでもし烏龍茶とか味の無いものだったら逆に吐いてたかもしれん。
 うがいはしたものの、何だかまだアレが口の中に残っているような気がして、俺は顔をしかめたままコーラで先に飲みこんだモノの味をごまかした。冷たい炭酸の刺激が、心地よく喉を潤していく。

 ようやく吐き気が収まってきて、背もたれに体重を預け唸るように息を吐くと、隣に腰掛けた古泉が小さく苦笑ぎみに笑った。

 「そんなに不味かったですか」

 まずいに決まってるだろ。
 というか、それ以前にありゃあ飲むモノじゃない。

 「僕には飲ませる癖に?」
 「……ッ!!それはお前が、勝手に…っ…」

 勝手に飲んでるんじゃないか、と言いたかったが、かーっと頬に血がのぼって語尾が明瞭な言葉にならなかった。
 激しく語弊のある言い方をするな!
 俺はお前に飲めと命令した覚えなどないぞ。

 何かのジェスチャーみたいに首を軽く傾がせながら、古泉は目を細めて微笑すると、手にしていたホットコーヒーと思しき湯気の立つ小さなカップに口をつけた。

 しかし、何でこいつは俺に同じ行為をしておいて平気なんだ。

 平然とコーヒーを啜る古泉とは裏腹に、俺はといえば情けないほど疲弊しきっている。
 口が疲れたし、舌の根がしびれて喋るのもだるい。
 何とはなしに古泉の様子を見つめていると、あの端整な唇が、などと不純な考えが浮かんできて、慌てて削除した。
 いかん。完全に思考が変態の、古泉のペースに嵌まってきている。

 確か一週間前には性経験にに関してはビギナーだったはずなのに、あれよあれよという間に遂に男のアレを口でしたという経験値まで付帯してしまった。
 あまつさえ出されたものを胃の中に容れてしまったのだ。
 約束通り古泉はそれ以上を要求してくることはなく解放され、身体の負担は受けずに済んだのは僥倖だ。が、精神的なダメージは計り知れないものがある。
 ここ数日で古泉が俺に寄越したのは、とてもじゃないが人には言えない類のレッテルばかりじゃないか。ろくなことをしていない。
 精液の味なんて出来れば一生知りたくなかったぞ。
 う、思い出したらまた吐き気が。


 くそ、強姦魔め。
 さらに罪状に強制猥褻罪も追加してやる。

 「法律に鑑みてお話しするなら、男性間で強姦罪は成立しませんよ。この場合適応されるのは、傷害罪、強制猥褻罪、脅迫罪といったところが妥当でしょうか」
 「やかましい」

 どっちにしたって犯罪なうえ三冠王じゃねえか。


 斜向かいにあるエスカレーター横のガラス張りの窓には、錆色に滲んだ外界の景色が広がっている。相変わらず黒く曇った空は泣き続けているらしい。
 細い雨脚が濡れた硝子に当たっては弾け、滴になって伝い落ちていく。

 「映画、戻れず仕舞いでしたね。すみません」

 同じく外を見つめながら古泉が謝った。
 また謝罪する項がズレている。

 俺はそれを指摘するだけの労力も惜しくて、ただ溜息をついた。
 口をひらくのが億劫だったとも言えるな。
 こうして並んで座って茶を飲んでいると、10分前までの悪夢が嘘のようで、まるで以前のままの普通の友人関係に戻ったような錯覚に陥る。
 無論そうじゃないことは分かりきっていることだ。でなければ今現実に俺が苦しんでいる胸糞悪い気分の説明がつかない。


 「お前、一体どうしたいんだ」
 「どう、とは?」

 首を横向け古泉を見遣ると、今度はすぐに古泉もこちらを向いた。
 いつも目が合うと何となく落ち着かない薄茶色の双眸をじっと見つめてみても、古泉の真意と呼べそうなものは微笑の後ろに隠されていて、俺には見えないものらしい。

 「男が好きなのか?」

 以前にも似たような質問をしていたが、真顔で繰り返すと、違いますと申し上げたかと思いますが、と同じ返答と共に古泉が笑う。


 「じゃあ何で…俺にこんなことするんだ」


 返事はすぐにない。
 ただ曖昧な笑みだけは崩れることがなかった。


 わざわざ脅して無理やり。
 古泉が俺に対してそうまでする理由がわからない。


 最初は嫌がらせかと思った。
 そんなに俺という人間が気に入らなかったのか、と思い知らされたような思いだったが、休日こうやって一緒に出かけたがったりするあたり、どうやらそうでもないらしい。

 こうやって古泉が触れてくるたび、俺は精神の底辺がじわじわと磨耗していくのを感じている。自分はノーマルだからとか、男に触られるなんて気持ち悪いとか、そういった理由もあるのかも知れないが、もっとずっと心の奥の深い部分が、えぐられるように痛むのは、多分俺にとって古泉が他人以上の存在だったからだ。
 謎の転校生。超能力者。SOS団副団長。そして―――


 「もしも」


 うつむいて思考する俺の上から、涼やかな声が落ちて沈黙を切る。
 顔をあげると、そこに笑顔はなかった。
 初めて見るような古泉の、存外鋭い視線に心臓が鳴る。
 いつものように曲線を描いていない、薄いくちびるがゆっくりと動き、俺はそれを金縛りにあっているみたいに固まったまま見つめた。


 「もしも、僕が…」


 語尾を掻き消すようにして、携帯のバイブレーションが鳴り出す。
 俺の携帯じゃない。
 古泉は舌打ちでもしそうな表情を一瞬浮かべると、ゆっくりと目を閉じて下を向いた。

 「出ろよ」

 促すと、「すみません」と短く言ってポケットから取り出す。
 液晶の表示も確認せずに通話ボタンを押し、ソファから立ち上がった。相手を確認しないのは、大方誰がかけてきたのか察しがついているからだろう。古泉が映画の最中でさえ電源を切らないのは、いつ連絡を寄越してくるかわからないそれの為だ。

 会話が極力聞こえないようにか、俺から少し離れて携帯に向かって話す古泉の横顔が、誰が知らない奴みたいに見えた。

 「……はい、………はい、…いえ、大丈夫です。では駅に」

 一分も経たないうちに通話は終わったらしい。
 古泉が歩み戻ってくる。

 「……すみませんが、急用が入りました」
 「ああ、……」

 休日だというのに、ハルヒの奴が機嫌を損ねたんだろうか。
 例のバイトか、とは聞かずにおいた。

 「帰りは手配しておきますので。タクシーで送らせましょう」
 「いや、いいよ……電車で帰る」

 機関の人間には、なるべくなら関わりたくない。
 固辞すると、古泉はそうですか、と呟いて、右手をわずかに持ち上げた。が、それをどうするでもなく逡巡させたあと、


 「……、では、また」


 月曜日に。

 シアターの扉が開いて、少しだけ漏れていた映画の音響が大きくなる。
 どうやら終わったらしい。スタッフロールを待ち切れない客が帰りはじめたのだろう。
 もの哀しげなピアノベースのエンディング。
 あの手のストーリーには珍しく、綺麗なハッピーエンドではなかったらしい。

 背中をむけてエスカレーターを降りていく古泉を見送りながら、そういえば上映前に言っていた古泉の話したかったことを聞きそびれたな。そう思った。






----------------------------------






update:07/10/26



11へ→