悪酔いしたんだ、と思った。 大学の追い出しコンパ以来、久しぶりに足取りすら覚束なくなるほど飲んだ酒で変な酔い方をして、それでおかしな夢幻を見たんだと。 そうでもなければ説明がつかない。 どうして古泉部長が、俺なんかにキスしなけりゃならないんだ。 しかもあんな。 俺は男で、部長も男で、平々凡々な見てくれの俺をまさか女子社員と間違えているわけもなく、ましてや恋人でもない。業務上の会話こそすれそれだって数えるほどで、プライベートに踏み入るような話題なんて、あの恋人はいるんですか、が初めてだったと言ってもいいくらい、部長は俺のことを知らないし、俺も部長以外の部長を知らない。 それなのに。 あんな恋人にするみたいなキスをされるなんて、まるで理由がないじゃないか。 not in business 2 なんとか終電で家に帰り着いて、そのまま倒れこむように眠って目が覚めても、酔った上の妄想というにはいやにはっきりと、記憶は残っていた。 フラフラしてて周りの細かい状況や部長が何を囁いたのかまでは覚えていなかったが、押し付けられたくちびるの弾力や、柔らかく温かな舌、アルコールの味。掴まれた顎や肩に残る、大きな掌の体温。 知りもしない感触や味がある夢なんて聞いたことがない。 布団に埋まったまま、寝覚めでぼーっとする頭で、すこしかさついた唇を手探りに指先でなぞった。 「……………起きないと、会社…」 部長に会ったら何と言おう。 夕べはご迷惑をおかけしまして、とかだろうか。いや、もうすみませんというしかないような。しかしどんな顔をしたらいいんだ? そんな俺の悩みは、出社しフロアに入った時点で杞憂に終わった。 「あ」 俺とちょうど入れ違いにフロアから廊下に出ようとした部長と、入口でかち合ったのだ。 完全に不意をつかれてドアを開けた状態のまま岩の如く固まる俺に、古泉部長は 「おはようございます」 と朝から爽やかすぎる笑顔を浮かべて、俺の脇を摺り抜けるとエレベータホールの方へと消えていった。 「…………」 やっぱり夢だ。 あれは夢だったに違いない。 そうでもなきゃ仮にも部下に、それも男に、百歩譲って酔った勢いの冗談であったとしてもキスをしておいて、あそこまで何事もなかったような態度がとれるわけはないじゃないか。 俺は大きくため息をつくと、自分の席へと向かった。 ああ恥ずかしい。酔って醜態晒したあげく、あんな夢幻を見るなんて。 上司とキスなんて俺の深層心理は一体どうなってるのかと小一時間正座させて問い詰めたい。 そう、それきり忘れて終わる話のはずだったのだ。 それから数日後。 業務終了後に当番でまわってきた給湯室の片付けをしていた時だった。 ひとり残って洗いものを集めて回っていると、会議だとかで昼から姿の見えなかった部長が戻って来た。 こちらを見るなりにこりと微笑まれて、どきっとする。 男にどきっとするって何なんだ。 「おや、まだ残ってらしたんですか」 今日は金曜で、他の社員は殆ど帰ってしまっている。 当番で、と言うと、部長はああ成る程と返事をしながら手にしていたファイルをデスクの上に置いた。 「ご苦労様です。手伝いますよ」 「い、いえ、とんでもないです!もうあとは洗うだけですから…」 「お一人より、二人でしたほうが早いでしょう」 恐縮して首を横に振るが、部長は意に介した様子もなくスーツを脱ぐとシャツの手首のボタンを外しながらこちらへと歩み寄ってくる。 思わず、この間の記憶が脳裏にフラッシュバックした。 最悪のタイミングだ。忘れてたはずなのに何で。 「……っ、」 馬鹿、あれは夢だ。ただの夢。 そう考えるのに身体が勝手にびくついて強張る。 それに気付かれたのか、部長が前髪を指先で払いながら、くす、と喉で笑った。 「…どうしました?どうしてそんなに怯えていらっしゃるんです」 「お、怯えてなんか」 「いない?」 ずっと笑顔を浮かべていた部長のそれが、わずかに様相を変える。 微笑のはずなのにどこか威圧感を滲ませた、恐怖にも似た言い知れぬ感覚を覚えて狼狽した。 あと一歩近寄られたらさすがに逃げ出すだろう距離まで詰められると、いきなり伸びてきた部長の手に腕をつかまれる。びく、と身体を強張らせると同時に、弾みで手にしていた湯呑みがひとつ滑り落ちた。 がちゃん、と少し鈍い音を立てて、床と衝突したそれが砕けてしまったのが見なくてもわかる。 ああ割ってしまったどうしよう、と思う間すらなく、俺は掴まれた腕を引かれるままにフロアを出ていた。 シャツ越しに感じる部長の記憶と同じ掌の熱に、また夢を見ているんだろうか、と現実を疑いながら。 ---------------------------------- みわくの給湯室プレイ\(^0^)/ update:08/4/29 |