Tacit Understanding 目が覚めると、身体が一匹の毒虫に変わっていた。 そんな出だしの小説があったな、とぼんやりと考える。 自分の肢体が自分でないような、眠っているいつの間にか別の何かに作り替わっていて、精神が取り残され遊離したような感覚。 それは大概は気のせいに決まっていて、暫くすると頭もはっきりしてきて感覚も通常に戻る。深く眠り込んだ後のまどろみで陥りやすい。そう、今みたいに。 重力に逆らえずシーツにのめり込むみたいに身体の力を抜く。 心地よさにもう一度目を閉じると、静かな部屋に響くタイピングの音が際立って聞こえた。 確か一緒に眠ったはずなのに、いつから起きているんだろう。 ブランケットに身体を擦りつけるようにして横を向くと、視線の先に椅子に腰掛けデスクトップPCを操っている背中があった。 明かりは消されたままで、デスク上のライトもぎりぎりまで光度を抑えている。 俺を起こさないようにだろう。青白いモニタがチリチリと瞬いている。そんなだから目を悪くするんだ。 あいつが家でPC触る時だけ眼鏡をかけることを知っているのは、きっと俺だけだ。 数時間前に散々俺を翻弄した指が、今は規則正しくキーボードを叩いている。 そのストイックさとの落差が余計に卑猥だなんて思ってしまう自分は、まだ寝ぼけているに違いない。 ぼんやりとシャツを羽織った後ろ姿を見つめていると、すぐにタイプ音が止んで、古泉が振り返った。 視線に敏感というか、こうして俺が古泉の方を見ると、つまらないことに大概十五秒も経たず気付かれてしまう。もしかしたら後ろにも目がついているんじゃないだろうかと思えるほど聡い奴だ。 そして目を合わせてニコリと微笑する。 お決まりになってしまったパターンに、俺は何だか安心を覚えるまでに慣れてしまった。 視界に入っていなくてもすぐに俺の視線に気がつくということは、それだけ俺の存在を気にかけているからだ。 そうと分かっていて、俺はわざと黙って古泉を見つめてみる。踏襲するその行為は、古泉のパーソナルゾーンの内側に自分が位置していることを確認するための作業でもある。 「起こしてしまいましたか」 「いや」 掠れてひどい声だ。 言葉をつむぐのも億劫で短く答えると、古泉が何か飲みますか、と聞いて来た。黙って頷く。 古泉はかけていた眼鏡を外してデスクに置くと、キッチンへ向かった。 冷蔵庫が開閉する音を、俺はベッドに横たわったまま聞いていた。 程なく戻って来た古泉の手には冷えたミネラルウォーターのペットボトルが握られていて、ビニールの蓋を捻って開けると、それを俺に差し出して来た。 「無理をさせてすみません」 わずかに申し訳なさそうな色を言葉の端に滲ませて、古泉が言う。 それも毎回のことだ。 その気回しを半分でもコトの最中に見せてくれないものか、と考える。 今日も古泉のベッドの上、絡み合っていつものように散々に泣かされ、喘がされ、ぶっ飛んで意識が途切れるまで執拗に貪られた。 抱き合う最中、理性のペルソナを剥がした古泉はぞくぞくするほど熱情に満ちた目をしていて、普通なら絶対に吐かないような台詞を囁きながら、やや乱暴に俺を扱う。 そのギャップにたまらない、と感じてしまう自分は、ほとほと救いようがない。 そうして高ぶりきった熱が沈んでいけば、また古泉はいつもの柔和な微笑に戻る。そうしてすいません、歯止めが利かなくてと俺に謝りながら、普段の倍も甲斐がいしく俺を甘やかしてくる。酔ってしまうようなその心地よさを味わいたくて、俺は今日もこうして自分から古泉のマンションを訪ねている。 傾けていたペットボトルを、半分ほど飲み干したところで古泉に戻した。 古泉はベッドサイドに腰を下ろすと、残ったそれに口をつける。 時計に目をやると、もう明け方だ。 カーテンの向こうにはうっすらと暁の気配があって、僅かな隙間から見える空は、目覚める前の微睡みのように群青色に染まっている。 「もう少し、寝ててもいいか」 聞くと、どうぞ、まだ起きるには早いですからと優しく笑った。 「…仕事、急ぎなのか?」 「あ…、いえ、あなたが起きる前に少し片付けておきたかっただけで」 当たり前のような自然さで延ばされた指が、額にかかった前髪をそっとかきあげ、そのまま耳のあたりまで手のひらで撫でるようにふれてくる。 俺は目を閉じると、そのまま古泉のシャツに顔を埋めるように凭れかかり、腕を延ばして古泉の首許に巻きつけた。甘えるように身体を擦りよせると、すぐに古泉の腕が応じるように抱きしめてくる。 「…今、仕事と俺とどっちが大事だ?」 どこかで聞いた使い古された言い回し。 しかしこの場合、発せられたのは彼氏に拗ねてみせる可愛い女の子ではなくて、普通極まりないつくものついた男の口からという点が致命的だが。 古泉は冗談に堪えられないとでもいった風情でくっくっと喉を鳴らした。 「それを僕に聞くんですか?」 月と鼈はどちらが視覚的に美しいか?というと同じくらい比較対象にならない質問であるかのように、古泉が笑う。 その口から出される答えは勿論決まっている。 「それなら…キスしてくれ。窒息するくらい、長く」 仰せのままに、と古泉が俺の身体を再びベッドに押し付ける。重なってくる身体の重みと、温かく柔らかなくちびるの感触を感じながら俺は緩やかに目を閉じた。 普段なら死んだってやらない台詞と仕草で古泉に甘えられるのは、こうして抱き合った後、感覚が未だ快楽の余韻にまどろんでいる間だけだ。 それは古泉も知ってる。 ---------------------------------- 眼鏡!眼鏡!( ゚∀゚)o彡゜ update:07/10/24 |