だって抵抗されなかったから、という言い訳が何の免罪符にもならないということに気がついたのは、愚かしいことに嵐のような劣情の過ぎ去った後に彼が発した一言を耳にした瞬間だった。
 考えてみれば当然だ。
 世の中ヘテロセクシュアルが主流で彼もそうである以上、軽い気持ちで泊まりに行った先の唯のちょっと近しい同性の友人、に性的関係を強要されるかもしれないなどと誰が予想するだろうか。ましてや耐性の弱いアルコールが入った状態で仮にも男の腕力で押し倒されて圧し掛かられ、酩酊し半分朦朧とした状態では抵抗らしい抵抗など、しなかったのではなくしたくても出来なかったのではないだろうか。いやそうと考える方が普通だ。
 だというのに僕ときたら、腕の中でなすがままになった彼が自分を受け入れてくれたなどと甚だしい勘違いの元に、彼を組み敷き欲望に従って抱いてしまった。どんな釈明が出来るだろう。
 これでもう二度と彼は僕に微笑みかけてくれることはない。元通りにはならない。なかったことにはできない。覆水盆に返らず。目の前が暗闇で何も見えなくなった。

















テイク2 3























 もう遅いですしお願いですから泊まって行ってください、僕は廊下で寝ます貴方にはもう指一本触れませんし顔も見せません、心配ならドアに内側から鍵をかけてくださって構いませんから、と、足取りも覚束ない様子で尚も自宅へと帰ろうとする彼に何とか取り縋り、何とか彼はその夜を僕の部屋で過ごしてくれた。
 控えめに、しかしばつが悪そうにシャワーを浴びさせてくれ、と所望したほかは彼はずっと黙りこくったままで、僕を非難し罵倒するような台詞の一片すら零すことはなかった。
 もういっそのことなじって詰め寄って、もう金輪際お前の顔は見たくない、と一刀両断に成敗してくれたほうがまだ楽だ、というのが正直なところだった。
 シーツを清潔なものに交換しながら、彼がバスルームで立てている水音にこの期に及んでまだ落ち着かなく胸をさざめかせている僕はもう地獄に堕ちた方がいい。
 彼が風呂から出て来て、ずっと俯いたまま僕と目を合わせることもなくベッドに潜り込むのを見届けた後は、朝が来るまで廊下で彼の微かな寝息を聞きながらまんじりともせずに過ごした。




 その週の土曜に限って、彼女が週末恒例のミーティングを取り止めてくれていたことを心から感謝するほかない。
 とは言え二連休を過ごせば通常通り登校する毎日がやってくる。学校へ行けばどうやっても彼と顔を合わせることになる訳で、一体その時に彼は僕を見てどんな顔をするのだろう、と、想像するだけで暗澹たる気分に陥る。
 例え蛇蝎の如く嫌われてしまっていたとしてもそれは仕方のないことではあるのだが、さらに絶望的なことにそんな状況に置かれたとしても恐らくは、僕にはかけらも彼を諦められるだけの自信が無いのだからどうしようもない。
 しかしああして彼を抱いたのは、一時の気の迷いとか魔がさしたとか若さゆえの過ちだとかそんな薄っぺらなものではなくて、真剣に心から彼を好きで好きで思い悩んだ結果箍が外れてしまったのであって、そこに後悔するところは少しもない。ただ、それが彼の気持ちを無視した暴挙になってしまったことが問題なのだ。
 謝って済むものではない。

 「……はあ、」

 周囲に人気がないのを確認し、溜息をついた。
 地面につけている足が沈んでいきそうな鬱々とした心持ちで部室棟の廊下を進む。今は放課後、これからSOS団の活動が待っている。こればかりは逃げることはできない。
 第一声は何と言ったものか。まず最初に陳謝するべきだろうか、それとも周りを慮って何事も無かった振りをするべきだろうか、と部室に入ってから先々の展開をシミュレートしながら歩いていると、とうとう文芸部室前まで辿り着いてしまった。
 どうせ思い煩ったところでなるようにしかならない。
 覚悟を決めて扉を叩こうと、軽く握った拳の甲を翳した瞬間、

 「あ」

 叩く前に内側からドアが開いて、間近に彼が立っていた。
 それを認識するなり脳が、フリーズしたみたいに思考停止する。
 唐突すぎる。

 「あ……っあの、…」

 彼もドアの向こうに僕が立っているなどと予想していなかったのだろう。少し面食らったような表情で目を瞬かせたあと、僕が何事か言葉を発するのを待たずにいつものぶっきらぼうなそれへと戻した。

 「今日は活動なしだとよ」

 ふい、と視線を横に滑らせると同時に、まるでしなやかな猫か何かのような仕草で、するりと僕の横をすり抜け部室の外に出る。
 今日は活動無し、という言葉通り、窓いっぱいに斜陽の差し込むがらんとした部室内には彼女は勿論、朝比奈みくるも長門有希の姿も無かった。
 すたすたとこちらに背を向け廊下を玄関の方角へと歩いていく彼の姿をぽかんと見つめる。階段へと続く曲がり角の向こうへ彼の姿が見えなくなったところで、漸く正気を取り戻して弾かれるようにその背中を追い掛けた。






 「待ってください」


 校門を出て尚も早足で歩き続ける彼の後を小走りに追い掛け、横に並ぶ。
 彼はちらりとこちらを一瞥したもののやはり無表情のままで、特に嫌悪や拒絶を示すような様子も無かった。
 あの、と弾む息の合間に零す。喉が渇いてはりつく感覚があるのは緊張からだけなのかどうかはわからない。

 「…すみませんでした」

 どうにも上手い言葉が出て来なかったが、一先ず何はなくとも謝罪だ。
 小さく呟くと、横顔の彼がぴく、と眉尻を動かした。
 相変わらず早めの歩調を合わせ、生徒の波もまばらな坂道を彼の表情の微妙な差異すら見逃すまいと横を向いたまま下っていく。

 「なにがだ」
 「何、って……金曜のことです。あなたに、ひどいことを」

 すみません、と再び繰り返す。
 彼は無言のままだ。

 「気持ち悪いと、顔も見たくないとお思いでしょう。貴方の信頼を裏切ってしまった。どうお詫びすれば良いのか判りません」

 やはり返事はない。口先の謝罪で許してもらえるとは毛頭思ってはいないが、それでも傷つけたかったのではないと、ああいう結果になったことが本意ではなかったと少しだけでも伝わればと祈って次句を接いだ。

 「もう可能な限り貴方の側には近づきません。ただSOS団の活動がある以上、顔も合わせないようにとはいきませんが……もう二度と、あんなことにはならないとお約束しますから」

 それを咀嚼した彼の無表情が、見る間に変化する。
 唐突にこちらを向いたかと思うと、力を込めた眉間に思いっきりしわをよせ、火がついたように眦を吊り上げたそれはまさに以前三日間無視を決め込まれた、彼の逆鱗に触れた時と同じ表情だ。

 「何だよ…それ」
 「は…?」
 「まさか最初からそのつもりで手ぇ出してきたのかよ!」

 彼の口からこぼれた想定外の台詞に、僕は目を丸くしたまま彼の口角の引き下がった口許を見つめた。おそらく頭上にはクエスチョンマークが山ほど出ていたことだろう。
 事の半分も呑み込めずに呆然としている僕に構わず、彼が声を荒げる。

 「だいたい、俺から泊まりに行っていいかって聞くのにどんだけ勇気入ったと思ってんだ!清水の舞台から十回は飛び降りるくらいの気合いでお前の家まで行ったっつうのに、気がついたらこっちが酔っ払って訳わからなくなってる間に終わらせましたって、そんなのありかよ、初めてだったんだぞ!」

 はじめて、というところで横を追い越していった女子二人が揃ってこちらを振り返る。
 男二人が下校途中に交わす会話の内容としては少々不穏な部分があることは否めない、が、それを気にしている余裕などなかった。
 彼にまくし立てられた内容が直ぐには頭に入ってこなくて、何度も反芻する。一体彼は何を言っているんだ。僕に対して途方もない怒りを表しているのは確かだが、どうも僕が認識しているポイントとはどうにもズレがあるような。

 「あの…」
 「なんだよ」

 白旗を上げる敗国兵宜しく両手を肩まで上げつつ、これ以上彼の憤怒を煽らないよう恐る恐る思い浮かんだ疑問を口にする。

 「勘違いだったら申し訳ありません……貴方のその台詞だと、貴方が最初から…その、そう言うつもりで僕の部屋に来たと、そう聞こえてしまうんですが」
 「だったら悪いか」
 「……………………」

 ぶすくれた顔でそっぽを向いた彼の横顔が、見る間に耳まで赤くなる。
 言葉より雄弁なリアクションだ、と思った。
 まさか最初から、急に泊まりに来たいと言い出したのも、自宅で風呂にまで入って石鹸の香りを漂わせていたことも、わざわざ部屋の電気を消して、手を伸ばせばすぐ届く近すぎる位置に座ってきたことも、ただ飲んだものがアルコールだったことだけが予定外で、後はすべて彼の精一杯の意思表示だったのだろうか。そんな馬鹿な。どうしよう、これは夢なんじゃないのか。彼もそのつもりだった、なんて。

 「今日お前ん家に泊まりに行っていいか」
 「え?」

 耳を疑った。
 確か三日前の金曜にもこうしてここで、同じ台詞を聞いたような気がする。
 有り得ない事態の連続に、もしかしなくとも僕はとうとう現実が受け入れ難いが為に精神がおかしくなって彼の言葉を自分の都合のいいように湾曲して解釈するようになってしまったんじゃないか、とまず自分の頭を疑ってかかっていると、
 
 「初体験が記憶にないとか納得いかん」

 僕に向き直った彼は注ぐ夕陽に目を細め、瞭然とした口調で告げた。




 「やり直しを要求する」




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誘い受になりきれないキョンと振り回されるヘタレ泉をお送りしました
わかりやすい青春!



update:09/09/29



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