「ううん…やっぱりちょっと、びっくりしたけど……古泉くんとキョンなら、私お似合いだと思うわ」
誰もが世界崩壊を招くと信じていた禁忌の日、少しはにかんだような笑顔を浮かべて、俺と古泉に向かってハルヒはそう言った。
病める時も、健やかなる時も
大学の講堂、
三限が始まる少し前、携帯がメールの着信を知らせた。
差出人が誰かはあてがついている。さっき送ったメールの返信だろう。予想通り、新着メールの名前欄には見慣れた名前が表示されていた。
「…あれ?」
ふと、違和感を覚えた。
俺は携帯にアドレス登録をする時、どんなに砕けた間柄の親しい人物でも必ずフルネームで入れる癖がある。
だが、そこに表示されている人物の名前は、下の名前だけになっていた。
だからと言ってそれが別にどうという訳でもないが。確かフルネームで入れていた気がするのだが、と訝しみつつも、とりあえず俺は捨て置くことにした。思い違いだろう。
メールを開くと、『今日は夕方には帰れそうです』と短い本文が表示された。
少し気分が高揚する。
三日と離れていたわけではないのに、子供みたいな己のゲンキンさに我ながら呆れてしまう。忙しい奴だから仕方がないが、それでも、やはり家にいないよりは帰って来てくれるほうがいいに決まっている。
すぐに返信に夕飯に食べたいものがないかという旨を打ち込み、送信する。
そうこうしているうちに、コーヒーを買いに行っていた谷口が戻って来て、陣取っていたすぐ前の席に座った。
「なんだぁ?キョン。どうしたよ、ニヤニヤして」
「いや、別に」
ニヤニヤなんてしていたつもりはなかったが、知らず口角が上がっていたのかもしれない。そう思うとえらく気恥ずかしくなって、俺はぐっと眉に力をこめて頬を引き締めた。
「おっ、さてはアレだろ、相手は古泉か」
からかうような口調で、谷口が俺の握っている携帯を指差す。
「だったらなんだ」
休憩中メールでやりとりしていたからといって、別に隠す必要もないので携帯を閉じつつそう返すと、
「おアツイねぇ、休み時間ごとに旦那とメールとは!まあ、まだ一月ちょいの新婚だからしょうがねえか!」
「……………は?」
オーバーアクションとともに谷口の口から出た台詞に、俺は盛大に眉をしかめた。
待て、なんだそのわかりにくい冗談は。
「別にそう照れなくてもいいって!俺も今更まぜっかえす気はねえからさ!」
ばんばんと肩を叩いてくる。そういう顔には明らかに好奇がありありと浮かんでいるが。
「いや、別に照れてない」
「まーまー、俺には構わず旦那にメール返してやれよ」
「だから誰が誰の旦那だ!新婚だのなんだの、笑えん冗談もほどほどにしとけよ」
たちが悪いぞ、と頬杖をつきつつ睥睨し不機嫌をあらわにすると、谷口はきょとんとした顔をして、
「何言ってんだよ、お前と古泉、先月結婚したばかりじゃねえか」
ギャグにしては一向に笑えないその台詞を素の表情で吐いた谷口に、今度は俺がきょとんとなる。
そこで、授業の開始を知らせるチャイムが鳴った。
その何でもない些細なことをきっかけに、俺は谷口の台詞が冗談でも揶揄でもないことを思い知らされることになる。
ハルヒだ。
でなければ説明がつかない。
講義が終わってアパートに帰り着いた俺は、荷物もそこそこに放り出してリビングのソファに沈み込んだ。
この一月、靄のようにぼんやりと感じていた違和感。それが気のせいではないことをはっきりと自覚したのだ。
同時に、この世界が正しいものではなく、僅かに改変されたものだということを。
なぜなら、谷口が言っていたとおり、俺と古泉は本当に結婚したことになっていた。
笑う勿れ。これがマジも大マジだ。
同性での結婚は日本の法律上認められていないはずだったが、なぜか周囲には至極普通のこととして受け入れられている。まるで普通のカップルと変わらないように。
いっそ市役所に行って戸籍謄本を取ってくるべきかと悩んだが、恐ろしくてやめた。
というか、俺と古泉の関係自体、他の誰も知りえないことの筈だ。
ずっと秘密にしてきたのだから。
そう、あの日まで。
クリスマスイブの前日。
ついに、ハルヒに俺と古泉の関係がばれた。
部室でキスしているところを、ハルヒに目撃されたのだ。
古泉の腕の中で硬直し青ざめる俺を、ハルヒは開け放したドアの前で大きな目をさらに零れ落ちそうに丸くして見ていた。
鍵も閉めていない部屋で盛ってきた古泉にいっそ殺意が浮かんだが、見れば古泉も俺に負けないくらい青白い顔で、普段見せないような真顔になっている。
「……あんたたち、何してるのよ」
やっと吐き出した、といった様子の声に、俺はいたたまれなくなってハルヒから目をそらした。こんな状況、何の言い訳も立たない。お仕舞いだ。
「……ご覧の通りですよ」
古泉の声にはっとする。
肩に絡んでいた指に力が篭り、胸の中へ強く引き寄せられる。
「僕と彼とは、…そうですね、数ヶ月前から所謂、恋人と呼べる間柄なんです。僕は彼を愛してますし、彼もそうであると確信してます」
「…っこいずみっ!!」
思わず大声で制止すると、古泉が俺を見下ろした。
「よもや、隠し立てしても仕方がないでしょう。…言い逃れできる状況でもありませんしね。この際、はっきりお伝えしておいたほうがよろしいかと思います」
「でも……!!」
この関係が露見した時、どういう事態が起こりうるか話したのはお前じゃなかったか。ハルヒが俺に恋愛感情を抱いていると仮定した場合、大幅な世界改変が予想されると。
そしてその時、お前の存在は抹消されてしまうかも知れないと。
俺は冷たくなった身体からさらに血の気がひくのを感じた。
「古泉君とキョン……付き合ってたの?」
ハルヒがぽつりと呟く。
俺はがっちり掴まれた古泉の腕から逃れようともがいた。
「ハルヒっ…ちが…」
なんでもいい、否定の言葉を吐こうとしてハルヒを見ると。
ハルヒは、今までに見たこともない切ないような、寂しげなような笑顔を浮かべ、そして、冒頭の台詞を言ったのだ。
「……そうだ、それなら今日は、クリスマスイブのはずだ」
俺の記憶が妄想でないなら。
あのあと学校を出て、家に帰って寝るまでの記憶はある。本当なら、翌日の十二月二十四日が来ているはずだ。
だが、新聞やら携帯の日付やらを確認しても、今日は一月二十四日になっていた。
それも、三年後の。
しかも恐ろしいことに、その三年間の記憶もある。
どう残りの高校生活を過ごして、進路を決めて、どういう経緯で古泉と結婚するに至ったのかも。結婚の報告に行った際、まだ学生なのにと渋る親を、古泉が説き伏せたシーンもありありと思い出せる。
紆余曲折を経て先月やっと結婚して、結婚式はせず、身内だけでささやかなお祝いをした。
そして結婚してから今日まで、どう古泉と生活していたか。
春にお互い大学生になって、さすがに学校こそ別で奴は有名難関大学の薬学部、俺は私立大の文学部に通い、こうしてそこそこ立地のいい場所にアパートを借りて二人暮しをしている。古泉は相変わらず一緒の大学に行った、というかあいつがそれに合わせたんだろうが、ハルヒの監視を続けていて、生活費はおおむね機関から出ているバイト代だ。
大学生と機関の諜報員、二足のわらじに忙しくしている奴は、それでもうれしそうに「貴方を養うためですから、以前よりずっとやりがいがあります」と笑う。
俺はあいつのために家事全般を引き受けていて、今日の予定をメールで聞くのも習慣になっていた。
こんなにもはっきりと現実味のある記憶があるのに。
でもそれは、作られた偽物の記憶なんだ。
俺は少なからずそこのことに落胆を覚え、愕然としたが、それでもしっかりこれが以前のような改変であることを確信しているのだからどうしようもない。
俺の知っている俺は、まだ高校生で古泉と結婚なぞできるはずがない世界に居る。知ってしまったからには、戻りたいと思うのが普通だ。
「……………でも、どうやったら戻れるんだ?」
ソファの上で縮こまって思考する。
考えに考え抜いて、いよいよ途方にくれてきた頃。
徐に、玄関の方からドアの鍵を開ける音が聞こえた。
update:08/1/14