「十五分だけ。十五分たったら起こして」
「なんですか、いきなり」 椅子から立ち上がり、書類の上に持っていたボールペンを投げ置く。 「室内に入ってくるときは、きちんと挨拶くらいしなさい。それに」 歩みよりながら尖らせた声をかける。返事は無い。 「保健室は休憩場所ではありませんよ」 ずうずうしくも布団の中にもぐりこんで寝の体勢に入っていたその生徒は、しばらく背を向けたまま反応を返さなかったが、竜崎がカーテンを引いたまま動かないでいると、さも面倒くさそうな動作で顔だけをこちらへ向けた。 夜神 月。 実際近くで見るのは初めてだった。 「わかったらさっさと起きてください。ベッドは病人の為のものです」 月は端整な顔をさも眠そうに歪めながら、半分落ちかかった瞼で竜崎を見た。 「気分が悪くて」 「充分健康そうに見えますが」 「あんた 誰?」 全く口の利き方を知らないようなその物言いに、竜崎は閉口する。 「仮にも教師に向かってあんた呼ばわりはないでしょう。保健医ですよ、新任の。見てわかりませんか?」 着ている白衣を示すように裾を払い、脇腹を手のひらで擦る。 「橘先生は?」 「産休でお休みです」 「…………」 「全校集会で、話があったと思いますけど。私のことも含め」 「そんなの、めんどくさくて覚えてられない」 「……………」 しばらく間を置いて考え込んだ様子をみせたあと、突然糸が切れたようにシーツの上に脱力し、月は後頭部を枕にうずめて、仰向けになった。 「こら、起きなさい」 あとはもう興味がないと云わんばかりに、再び寝に入った月の肩を揺り動かす。 「担任の先生に通報されたいですか? 夜神くん」 すこし節のたった綺麗な長い指が持ち上がり、瞼の上を無造作にこすった。 「なんで名前、知ってんの」 喉につっかかるような、歯切れの悪い眠そうな声。 「有名人ですから」 ふうん、と、納得したのかしていないのか判別つき難い返事を返しながら、月はのろのろと上体をシーツの上に起き上がらせた。鬱陶しそうに前髪を指先で払いながら、上機嫌とは云い得ないような表情で竜崎を見る。 「まあ いいや」 短く息を吐きながら呟くと、月は、また何の興味も伺えない無感動な表情で足を下ろし、床に脱ぎ捨ててあった上履きに爪先を引っかけるとすんなり立ち上がった。 「煩いから、今日はもう帰ろうかな」 独り言のように吐き捨てながら、竜崎の存在など取るに足らないとでも云うような、ぞんざいな態度でさっさと出入り口の方へと進み出す。 「夜神くん!」 心持ち、咎めるように声を荒げさせる。竜崎を振り返りもせずに歩きながらネクタイを直し、適当に身繕いすると、眠そうな欠伸をひとつして、月は白いスライド式の扉に手を掛けた。
「ちゃんと授業に出るんですよ」 付け足すように放った言葉を最後まで聞いたか否か、ドアは元のとおりに閉じられた。 あれが夜神 月。 礼儀正しく品行方正、絵に描いたように真面目で優秀な優等生。話に聞いていた他の教師陣の評判や生徒たちの噂には、まったくと云っていいほど当てはまっていない。
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