「ほんとうに甘いものが好きなんだな」


 月の半分呆れるような響きの台詞に、ショートケーキの乗った皿から竜崎が目線をあげた。
 「ええ、好きです」
 人の言葉にぞんざいとも思える返事の仕方をして、フォークの先端を前歯で噛む。
 箱の中身は月が大学からの帰り、偶然目に入った菓子屋で気まぐれに買って差し入れたものだ。
 「月くんもひとつどうです?」
 「いや、僕はいらないよ。全部食べていい」
 ケーキの詰まった折箱を月の方へ押しやる竜崎の手をやんわりさし止めると、甘いものは苦手なんだ、と付け加える。
 心なしか竜崎は口元を僅かにほころばせたように見えたが、「そうですか」といつも通りの無関心な声を出すと、再びフォークを忙しなく皿と口の間に行き来させ始めた。
 たっぷり白いクリームをまとったスポンジケーキが唇の奥に次々と消えていくのを眺めているだけで胸焼けを起こしそうだったが、そんな月をよそに竜崎は実に幸福そうに皿を綺麗にし終わると、最後に残った苺をフォークでぶすりと刺した。
 「捜査の進展は?」
 ガラス製の磨かれたテーブルの上に置かれているティーカップに手を伸ばすと、竜崎が自分の脇にある角砂糖の入ったケースを寄越そうとしたので再びそれを制止する。
 「今のところ特には。外部の捜査員からもこれといった情報は入ってきていませんし、第二のキラからのビデオ等の鑑識結果はあと二日程度かかるそうです」
 云い終わると、竜崎は皿の上で手遊みに転がしていた苺を口の中へ放り込んだ。
 「……そうか」
 それなら今日のところは特にすることもないのだろう。
 わざわざこうしてやって来て、ただ竜崎のお茶に付き合って帰るというのも何だか馬鹿らしい気もしたが、ここ数日いろいろと働きまわっていたことを考えればそんな意味のない時間もそんなに悪くはない。
 ぼんやりそんな事を考えながら窓の外の景色を眺めていると、竜崎がふたつ目のケーキを折箱から手づかみで取り出し皿の上に無造作に乗せた。
 バタークリームケーキの周りのフィルムを剥がしにかかる手をうんざりした気分で見つめながら、月は「本当に好きなんだな」と先と同じ台詞を吐いた。
 「はい。甘いものが食べられない人は人生の半分損してると思います」
 あてつけかとも思えるような言葉も、こういう物言いをする人間だと分かっている今は気にするだけ馬鹿だ。
 竜崎は再びフォークを摘み上げるようにして手に取ると、その先端をケーキに垂直に刺しいれる。姿勢といい、ものの食べ方といい、今更ながらに行儀が悪い。周りがコンチネンタル・スイートの高級感に満ちた内装に囲まれていれば余計にそれが目立ってみえる。
 その仕草を冷めた目で見つめながら、なんも気も無しに月が唇をひらいた。

 「じゃあキラとどっちが好きなんだ?」

 殆ど無意識に口をついて出た月のその言葉に、竜崎はケーキを崩しにかかっていたフォークを止めた。面食らったように一瞬目をまるく開いた後、あからさまに眉を顰める。
 「比較できる対象ではないと思いますが……。そもそもどうして私がキラを『好き』だなどと?」
 「キラを追っている竜崎はまるで恋でもしてるみたいに見えるからね」
 唇の端を吊り上げて大仰にそう云うと、竜崎が怪訝そうな表情のまま黙りこんだので、微笑混じりに「冗談だよ」と付け加えておいた。

 「……そうかも知れません」
 「え?」

 今度は竜崎の言葉に月が目を見開く番だった。
 「月くんの云うとおり、恋なのかもしれません」
 フォークがからんと音を立てて皿に置かれた。
 ポットから注ぎ足した紅茶に、竜崎の左手がいくつか摘まんだ角砂糖を無造作に放り込む。アールグレイの赤褐色の液体がカップの端で大きくたわみ、波紋を作った。
 竜崎にはなんの表情の変化もない。
 「特定の人物に対し興味を抱いたり、その人間のことばかりを考え続けることが恋だと云うなら、私のこの感情は正しくその通りです。ただ、普通の恋愛感情のように好感や好意といった良いものではありませんが」
 「………………」
 月は黙ったまま、竜崎の薄い唇が言葉を紡ぎだすのを睨みつけていた。月の態度を知ってか知らずか、竜崎は全く意に介していないような素振りで話を続ける。
 「しかし私が興味があるのは厳密にはキラ自身ではなく、キラの殺人の方法や、動機……事件の背景といったキラ事件の謎そのものですから」
 ティースプーンで砂糖の溶けきっていない紅茶を攪拌する。カチャカチャと食器の擦れあう耳障りな音が響いた。

 「この『恋』はキラの正体を突き止め、確保できた時に終わってしまうものなんでしょうね」

 言い終わると竜崎はスプーンをソーサーの上に置き、カップの中の甘ったるそうな液体を啜った。
 「成程ね……」
 視線を竜崎の顔からテーブルの上にずらすと、純銀のフォークが皿の上のケーキを切り崩し、突き刺す様子が目に入る。その動きを目で追うと、バタークリームに塗れたそれが再び竜崎の口に入っては消えた。
 月はおもむろに立ち上がると、テーブルを僅かに廻り込んで差し向かいの竜崎の横に並ぶ。口に次を運ぼうとしていた竜崎の細い手首を掴むと、やや乱暴に引き寄せるようにしてその唇を塞いだ。
 はずみで竜崎の指からフォークが離れる。銀色の照り返しを放ってそれがテーブルの端に当たると、高く派手な音が響き渡った。
 「……………ン…」
 強く吸いつき、下唇を舐めてやるとことのほか甘い。
 ケーキを食べていたからだろうが、元から甘いのではないかと思えるほど赤く熟れたくちびる。
その間を割ってするりと舌をしのび込ませると、その口腔内はバタークリームの味がした。
鼻腔から抜ける甘ったるい匂いにうんざりしながら、シャンティイクリームでないだけまだましだと月は思考の隅で思った。
 噛み付くように荒っぽく口付けたあと、軽く水音を立てて唇を離す。
 その感情の動きを映さない黒い眼を息が触れるほどの距離で覗き込んで呟いた。

 「……じゃあ、僕とのコレは?」

 竜崎は黙ったまま、濡れた唇を確かめるように指先でなぞった。
 「………………そうですね」
 そのしなやかな腕が月に向かって伸ばされる。



 「これも、恋かもしれません」

 
 



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