「どうぞ。散らかってますけど…」


 そう云う割りに、相変わらず最小限のものしか見当たらないシンプルな部屋。
 ここに来るのは、以前先生のお見舞いに来た時以来だ。
 もちろん幾度となく泊まりに行きたいと要求してみたが、特定の生徒を家に泊めるのは、とか、おうちの方が心配しますから、とかいちいち理由をつけられ返事はにべもなかった。
 こうして交換条件でも出して追いつめないことには、僕が生徒である以上おそらく永久に頷いてはくれなかっただろう。

 促されるままにリビングにある白い小さなソファに腰を下ろす。
 先生は着ていたコートを脱ぎ椅子にかけると、電話の横に鍵を置き、深く息をついた。

 「まったく…。家なんかに来ても、何にも面白いことなんてないですよ」

 困り果てたような顔でキッチンへ向かう。

 「僕が来たら、迷惑だった?」

 「そ そういう訳じゃないです」

 すこし慌てた声が返ってくる。
 僕はソファから立ち上がると、先生の後を追うように傍寄った。
 カウンターに凭れて先生がお茶を用意している様子を眺める。
 相変わらずの綺麗な指でコーヒーの蓋を開けスプーンを扱うさまは、やっぱり以前と変わらず何処かぎこちない。

 「恋人同士だったら、相手の部屋に泊まりたいと思うのは
 自然なことじゃない?」

 そうすんなり会話を次ぐと、がちゃん、と大きな音を立てて、先生の指から滑りおちたティースプーンがシンクに落ちた。

 「そ、そ…そうかも知れません……けど…」

 ほんのり赤みがさした頬を隠すように俯く。
 ほんとに、すぐ動揺するんだから。

 カウンターを回り込み先生の横に立つと、びく、と細い肩がゆれた。
 シンクから照明を鈍く照り返して光る銀色のスプーンを拾い上げると、再び先生の指に握らせる。


 「僕は先生と一緒に居られるだけですごく嬉しい。
 ……先生は、違う?」


 前髪の隙間から見上げてくる真っ黒な瞳を窺うように覗き込み、やさしく微笑んでやると、すこしためらいがちにその視線が泳ぐ。
 くちびるに軽く歯を立てその顔がわずかに傾いだ。


 「………わ、私も…嬉 しい、です…」


 ぼそぼそと、聞き取りにくいほど小さな声で返された答えに満足すると、その熱をもった頬に軽くキスを落として僕はソファに戻った。