高校教師〜資料室編





 「手伝ってくれるんじゃなかったんですか!?」

 嘘吐き、と罵らんばかりの涙目で、先生が上目遣いに僕を睨みつけてくる。
 そんな様子を尻目に、僕は曖昧な笑顔を浮かべつつも、抱きしめている手を緩めようとはしなかった。






 木曜の昼休み。

 昼食もそこそこに、いつものように授業の質問を装い、先生の居る化学準備室へと足を運んだ僕に向かって竜崎先生は「これから用事があるんです」とにべも無い台詞を告げた。
 熱心な生徒の相手以上に優先されるべき用事とはなにかと訊いてみれば、なんてことは無い、地理資料室の整理という学年主任から言いつけられた雑用だ。
 化学担任である先生には、本来引き受けなくてはならない義務などない筈だが、先生の根幹に在る生真面目な性質からおそらく断ることができなかったのだろう。
 言葉は悪けれど つまりは、お人好し。


 「ホントに……先生、たまには断る勇気も持たないと、付け入られるばっかりなんじゃないの」

 手伝うよ、と半ば強引についてきた棟の極端の資料室は、長い間ろくな片付けもなされていないのだろう、物が雑多に積み上げられていて、とてもじゃないがひとりでなんとか出来る有様ではない。
 僕が呆れたようなため息をつくと、先生はわずかに眉を顰めてこちらを見上げてきた。
 「そういうんじゃありませんよ。たまたま手が空いていたから引き受けただけです」

 それが人が好いって云うんだよ。

 そう口をついて出そうになった言葉を飲み込む。
 大体手が空いてるってなんだ。
 昼休み、それも木曜の。
 ともすれば僕がこうやって先生に逢いにくるだろうことは、先生にだってわかっている筈なのに。
 僕はわずかに気分が降下するのを感じた。

 先生にとっては、僕より仕事の方が大事なわけだ。

 教師であり、社会人である先生に対して、そんな子供みたいな聞き分けの無い嫉妬心を露にできるほどプライドがない訳でもないから云わないが、少しくらいは考慮してくれてもいいんじゃないかとも思えてしまう。

 だって僕はただの生徒じゃない。
 れっきとした、
 先生の恋人なんだから。




 「夜神くん。……夜神くん!」

 先生を抱きしめたまま、思考に耽っていた僕の腕を揺さぶるようにして、先生が身を捩らせた。
 「うん?」
 「聞いてるんですか?」
 「なんの話だっけ?」
 「……手を離してくださいという話です」
 はんぶん座った目で低く呟く先生を、なおさらきつく抱き寄せる。
 「ちょっ……」
 「ヤだ。はなさない」
 「夜神く…!」
 逃れようと暴れる先生の力に比例させて、拘束する腕に力をこめる。
 折れてしまうのではないかと思えるくらい強く抱きしめると、細い身体は身じろぐこともままならず、この腕の中に収まった。
 「いっ、いい加減にしてください…ッ」
 顔を僕の肩に埋めた状態で、先生が苦しげにちいさく呻く。
 その耳もとに顔をよせ、ふ、と息を吹き込むと、びくんと首がすくまった。
 「……こういうシチュエーションも良いと思わない?先生」
 笑い混じりにそう囁いてやると、気のせいかわずかに先生の顔色がわるくなる。
 僕の意図を空気で察知したのか、なんとも言えない引きつった表情を浮かべて、先生が「馬鹿なこと云わないでください」と呟いた。
 「こんな暗くて狭い資料室に先生とふたりっきりなんてオイシイ場面、むざむざ逃す手は無いでしょ」
 にっこりと優しく微笑んで云うと、気のせいではなく顔から血の気の引いた先生が、すがるような目を僕に向けてくる。

 「て…、手伝ってくれるんじゃなかったんですか…!?」

 「もちろん、手伝うよ」
 その首筋に歪めたくちびるを押し当てながら呟く。


 「コレが終わったらね」


 抗議とも拒絶ともつかない先生の言葉は、
 発せられるまえに塞いだ僕の唇の中に消えた。






next→