この状況で、万が一俺に数パーセントでも非があるとするならば、隙があったとか迂闊だったとか無防備過ぎたとかそういうことになるんだろうが、考えてもみて頂きたい。
 男と、同じ男とだ。二人きりの状況になったとして、もしかしたら相手に押し倒されるかも知れない、などと危惧してかかる人間がどれくらいいると思う?
 そんな危機感を常に持っている奴のほうがそれこそ数パーセントともいえる極少数の特異種だろう。つまるところ、俺に非はないと思うわけである。

 そんな己の正当性を主張する脳内理論を展開してみたところで状況は変わらない。
 俺は文字通りボー然と天井を見上げる体勢で、上に覆いかぶさっている会長を見つめていた。背中の下敷きになったらしい、デスクの上の書類がくしゃ、と乾いた音を立てる。
 公文書じゃないのか。知らんぞ。
















ルール オン ジェラシー 2


















 「…どういう種類の冗談ですか。ちっとも笑えないんですが」


 半眼で呟くと、相変わらず嫌な笑みを浮かべたままの会長は
 わずかに目を細め、

 「いやに落ち着いてるな。慣れてるのか?」

 慣れてるわけないだろ。

 いや、確かに突然スイッチが入った古泉にあんな場所やそんな場所で襲いかかられることが日常茶飯事となってしまった気の毒な身の上であるからして、多少のことには心臓が慣れたと言えないこともない。が、古泉以外の人間に襲われるのは、もちろん初めてだ。
 俺にこんな真似をする奇特過ぎる人間は古泉だけだと思っていたが。

 いや、そんなことはどうでもいい。

 「離して下さい」
 「古泉とはもう寝たんだろ?」

 会話になってないぞ。俺は離せと言ったのに何で質問で返すんだ。
 俺は抗議の意図をこめて唇を引き結んで睨みつけたわけだが、沈黙は肯定と見做されたらしい。ともすれば下品ともとれるようなやり方で唇の端が引き上がる。
 そういう人を見下すみたく横柄な態度も、いやに凄みが増して見えるんだから、全く顔のいい奴は得だ。

 「あいつが惚れた腫れたにマジになるっていうのも想像つかねえけどな。どっちかというと上のお偉いさんあたりに命令されて、お前を取り込む為の手段に出たと考えたほうがしっくりくる」


 その揶揄が滲んだ台詞に、ずきりと胸が鳴る。


 「……っあんたには、関係ないだろ!」


 上等な返し文句を考えつくより先に、噛み付くような怒声が出て驚いた。
 会長のその言葉を真に受けたわけでもなかったが、奴の仕事仲間だろうと何だろうと、適当な憶測で知ったふうな口を利かれるのは嫌だ。
 これではハルヒを直情型だと笑えない。


 「威勢がいいな。まあ、そういうのも嫌いじゃないが。
  寧ろ愉しみが増すか」


 ニッと薄い唇を歪ませて、不気味なほどゆっくりと会長の指が俺のネクタイにかかる。
 ただでさえだらしない結び目を解すように緩められたかと思うと、そのまま乱暴にシャツの襟元を掴まれ引っ張られる。

 「……、ッ!!」

 殴られるのかと瞬間身構えると、ぶつん、と嫌な感触がした。
 一瞬遅れて机の天板に小さく何かがぶつかる音がして、もしかしなくともシャツの釦が力任せに引きちぎれ弾け飛んだ音だと悟る。

 なんてことしやがるんだ。

 あの古泉でさえ、どんなに性急に駆られていてもそんな狼藉を働いたことはない。
 ボタンがひとつ取れたくらい、別に実害としては大したことはない。が、結構な衝撃はある。精神的に。

 呆気にとられて声を出せないでいると、会長の上体がさらに圧しかかってくる。
 シャツを肌蹴られ晒された鎖骨のあたりをべろりと舐められて、思わず身体がびくついた。無論、怖気から来る震えだ。

 「やめ…、…!!!」

 背筋がぞわぞわする。気持ち悪い!
 腕を突っぱねてなんとか会長の身体と自分の間に距離を空けようとするが、情けなくなるほどにのしかかった身体はびくともしない。
 目下これからは筋力トレーニングを日課に取り入れるか検討すべきだと痛感した。
 古泉対策のみならず、護身のために。
 俺の抵抗なんぞ猫の子に引っ掻かれたほどにも痛くないのか、ふ、と息だけで笑うと、会長はブレザーを掴んでいた俺の右手を搦め捕り、手首を固定し机に押し付けた。そうされるともうそれだけで片腕の自由はあっさり封じられてしまう。

 「う…っ、はな、せ……、!!」

 必死に力を込めているお陰で、段々息が上がってくる。
 力比べをしているはずの当の会長は涼しい顔だ。
 同じ男だというのにこの力の差、どんな不条理だと俺はどこに訴えればいいんだ?
 再び皮膚をたどられ、這い上がった唇が肩口にうずまる。吐息が耳裏に触れてぞくりとした。整髪料か何かの、知らない匂いがかすかに鼻腔をつく。
 ふいに噛み付くように首筋の柔い部分にきつく吸い付かれた。

 「い、っ…、…ッやだ…!!」

 鋭い痛みに身をよじらせる。
 皮膚に鬱血が残りそうなくらいに吸われ、その上を舌がなぞる。
 愛撫されてるみたいな感覚が嫌すぎる。
 唯一何とか自由の利く左手を振り払うと、

 「!……」

 予想だにしない手応えがあった。爪先がわずかに会長の頬を掠める。
 手に眼鏡の細いフレームが当たり、視界に入らない床から、かしゃんと軽い音がした。

 「……っ、…」

 フレームがかかっていたあたり、こめかみ近く爪が掠めた痕に
 見る間にうっすらと赤い線が走る。

 正当防衛につき、俺は謝らん。
 例え眼鏡が落下衝撃で破損していたとしても弁償の義務もない。

 首許を掌でおさえつつ精一杯に睥睨していると、会長が低く喉を鳴らして笑った。



 「やれやれ。…とんだじゃじゃ馬だな」



 「……!!」

 もう片手も無造作に掴まれたかと思うと、乱暴に頭上まで引っ張り上げられ、先に拘束されていた右手とひと括りに固定される。

 「っいやだ、はなせ…ッ!!」

 デスクの上をずり上がり身を捩る。
 身体の下敷きになった書類がぐしゃりと無残な音を立てたが、構うものか。
 蹴り上げようとした脚を止められ、膝の間に会長の身体が割り込み閉じられなくなる。
 会長は相変わらずニヤニヤと笑んではいたが、それは優越者の笑みだ。
 少なくとも、ジョークだと言い出しそうな空気はなかった。

 やばい。これはマジでやばい。

 シャツの裾から掌が這い込む。
 冷たい手が脇腹をなぞって、その感触に肌が粟立った。

 「ひ…、っやだ…、やだ、やめろ、」

 洒落にならない事態に血液が引いて、末端から冷えていくのがわかる。
 胸までたどり着いた長い指先が、するりと突起の上をかすめるように撫でる。
 思わずびくついて息を飲むと、嘲笑めいたひそやかな笑い声が降ってきた。

 「撫でられただけで感じるのか?」
 「う、っ、…な、わけないだろ、…!!」

 へえ、と言い様に乱暴に摘まれ押し潰される。
 今度はごまかしようのない声が出た。
 たったそれだけの刺激で、じんじんと疼痛を湛えるそこが簡単に芯をもってしまっているのが嫌でもわかる。

 「なかなか感度がいいじゃないか。あいつに躾られたのか」

 からかうような口調に羞恥が走る。屈辱だ。
 何だって俺がこんな目に遭わなきゃならないんだ。
 反応したくもないのに反応してしまうのは、あいつがそう教え込んだからだ。
 パブロフの犬よろしく浅ましい身体になってしまった責任は全部古泉にある。俺は断じて悪くない!
 くちびるをかみ締めていないと、ともすれば涙腺が決壊してしまいそうだった。
 この上泣いてしまうなんて醜態をさらすことだけはなんとしても避けたい。

 「ふ…、……っく、…」

 大きな掌が動くたび、条件反射みたいに息がこぼれる。
 嫌だ。こんなのは嫌だ。心臓のあたりが無理やり捻れるような嫌悪感が沸いてくる。
 俺は男が趣味なわけじゃない。
 ましてや相手が誰でもいいわけじゃない。
 情けない表情になっているに違いない顔を見られたくなくて横に背けると、代わりに耳朶を舐められた。耳の穴に舌をねじ込まれ、否が応にも肩が竦んでしまう。
 う、と呻きと嗚咽を混ぜて割ったような声が勝手に漏れる。

 「いやなんだろ?…泣いてみせろよ」

 笑い混じりの低言が耳もとに吹き込まれる。
 同時に両脚を割って入った会長の膝が、きわどい部分を押し上げ
 俺は目を見開いた。



 「…っう、あ…、嫌だ、…や…っ!!! こ い…」



 だめだ泣く、と思った瞬間、ドアが開かれる音がした。






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いじめっこ会長!(゜∀゜)


update:08/1/28



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