ルール オン ジェラシー 9





 「………………」


 袖で拭っても拭ってもきりなく溢れてくる涙と格闘しつつ、いつまでも黙ったままでいる古泉を怖々と見上げると、面食らったようなぽかんとした締りのない表情で俺を見ている奴と目が合った。
 予想の範疇外の反応だ。
 会長に押し倒されているシーンを見られた時と同じくらい、らしからぬ古泉の素の表情。
 これが可愛い女の子ならともかく、男の癖に泣いて縋るなんて、みっともないのは俺自身が一番わかってるんだから、そんな顔で見ないで欲しい。

 「すみません…あの、嫌いにならないでくれ、とは」

 乱れた衣服を治しつつ、戸惑いがちに古泉が訊いてくる。
 ここまでやらせておいて、皆まで言わせる気か。
 俺は唾液やら古泉の体液と思しきものやらでべたついた口許を、手の甲でぬぐったあと、嗚咽ばかりがこぼれる口を開いた。

 「…だっ、て、…お前、俺がこんなだから、っ、もう、…嫌になったんだろ、…っ、…だから、あんなふうに…、ッむ、無視…っ」

 無視したんじゃないのか、と言いたかったものの、横隔膜のあたりがが絞られるみたいに痛み、勝手にしゃくり上げてしまって、最後まで明確に発音できなかった。
 まるで叱られた子供かなにかだ。
 俺こんなキャラだったか?
 違うだろ。自分でも呆れるね。
 古泉のことになると、俺の余裕とかプライドみたいな余剰部分はどこかになりを潜めてしまうらしい。
 穴があったら入りたい、いや寧ろ埋まりたいと思うほどに羞恥心やら情けなさやらで消沈する理性とは真逆に、涙腺からは感情のままに涙が過剰生産される。
 せめてこれ以上の醜態を見られまいとうつむき、濡れた顔を隠すように掌で覆う。
 そのまま目を閉じたままでいると、ふいに立ったままでいた古泉の影が動く気配がした。
 ぎしりと古い床が小さく軋んだ音を立てる。


 「……すみません」


 側近くで低く、掠れた声が囁いたかと思うと、ふわりと頭に古泉の掌が触れた。
 そのまま撫でるように滑り落ちた手が頬をなぞり、俺はその少し冷たい、優しい感触に誘われるようにわずかに顔を上げた。
 上向く動作を拒否しているかのように重たい瞳を何とか動かし古泉を見遣ると、古泉は、さっきまでのイミテーションの笑顔でも昨日の冷徹な無表情でもなく、苦いものでも飲まされたという比喩がぴったりくるようなどこか傷ついた表情で、かすかに眉を寄せて俺を見つめていた。
 そんな表情をする古泉も、俺の記憶の中に当該する情報はない。

 「すみません」

 頬についている水分を指の腹で拭いながら、同じ台詞を繰り返す。

 「…僕は、どうにも…あなたのことになると、自制が効かなくなってしまって
  ……ごめんなさい」

 独白のように、古泉が低く呟く。
 なんで古泉が謝り出すのか。
 混乱してきた頭で悄気た様子の古泉を見上げていると、その口が台詞を続ける。

 「昨日のことも、あなたに非が無いことはわかっているんです。あなたが他の人間とそんなことを出来る方ではないということも。…頭では分かり切っているのに、あなたが他の男の腕の中に居たというその事実だけで、我を失ってしまって。……あなたに、ひどい真似を」

 「……………」

 殆ど懺悔めいた告白を聞いていると、内容を理解するにつれて涙が収まってきた。
 時折思い出したようにしゃくり上げる俺の下瞼を、古泉が指先で掠める。

 「あんな酷い抱き方をして…貴方を傷つけて。目が覚めて、あなたが部屋にいないことに気付いた時には、もう自己嫌悪どころの話じゃありませんでしたよ。別れたいと言われても仕方の無いことをしてしまったんですから。もしも軽蔑されたり、また昨日のような怯えた目をされたらどうしようと…そればかりで、とても貴方の顔を見られなくて。
 …まさかそれを、貴方がそんなふうに捉えていたなんて」

 思いもよりませんでした、と古泉が苦笑する。


 「…もう、怒って…ないのか?」


 唇を戦慄かせつつおそるおそる切り出すと、

 「いいえ。謝らなくてはならないのは僕の方なんですから。
  ……あなたこそ、僕を許してくださるんですか?」

 そう問うてくる古泉の表情の下に、隠し切れない不安が滲み出ているのがわかった。
 俺は伸ばした手で古泉のブレザーの袖を掴んで引き寄せ、その耳もとで小さく呟く。
 その目をまともに見られなかったのは、今度は恥ずかしさからだ。



 「…お前なんだから……許すも許さないも、ないだろ」
















 「ふ、…ぅ…、っ、」

 届けるかぎり咥内の奥まで舐められる。
 いつもよりもずっと深く、長すぎるキスに、ぶるりと身体がふるえた。
 俺が苦しさから肩にまわした手に力をこめ縋りついても、古泉は離そうとしない。
 忙しなく粘膜を探る舌に促されおずおずとそれに自らの舌を触れ合わせると、微電流みたいな甘い快感が腰に蟠る。

 唐突に、再び古泉の携帯が鳴り出し思わずびくついた。
 そうだ、これからバイトに行くところだったんじゃないのか。

 「ん…、…ッでん、わ……、っ…」
 「いいから」

 珍しく常体で短く返答すると、古泉はまたすぐに俺の口を塞いだ。
 片手で背中を強く引き寄せたまま、もう片手でポケットを探り携帯を見もせずに電源を切ると床に放り出す、その動作にさえ興奮が呼び覚まされる。
 酸欠とくらくらするような眩暈で芯の定まらない身体は、床に膝をついた状態でさえ安定があやしくて、自然と、抱きしめられた古泉の胸に完全に体重を預けもたれ掛かる体勢になった。
 さし出した舌を甘噛みされ、強く吸われる。
 引き擦りこまれた温かく柔らかな古泉の口中の感触に、それだけでぞくぞくと這いのぼる愉悦を感じる。

 「ッふぁ、…はっ…、はァ…」

 やっと唇が離されるころには、どちらのものとも分からない唾液が顎から伝って喉もとまで垂れおちた。キスひとつで情けないほどまともに力の入らない腕で、溺れているみたいに古泉の背にすがりつくと、耳朶をぺろりと舐めた古泉に、


 「そういえば、さっき…『何でもするから』と仰ってましたよね」


 これ以上ない甘い声音で囁かれ、ぎくりと背筋がこわばる。

 すっかり忘れてた。
 さっきは古泉を引き止めたい一心で無我夢中だったので気がつかなかったが、我ながらとんでもないことを口走ってしまったものだ。
 思い出すと一気に顔が熱くなった。

 「あ…れは、」


 えーと、あれだ。
 言葉のあやってやつじゃないか。


 「ふふ、何にせよ…あなたがそこまで僕のことを想って下さっていたなんて、本当に幸福ですよ。ましてや、ああして口でするのはお好きでないと仰っていたのに」

 「…………、…」

 そう言って微笑む古泉が、あまりにも嬉しそうだったから。
 多分泣きすぎと考えすぎで偏頭痛を起こしそうな頭は、まともに機能していないんだと思う。そうでないなら俺は今素面じゃないんだろう。
 いやに煩く鼓動する心臓を抑えつつ咥内の唾液を飲み下すと、古泉の身体を伝うようにして背中を丸めて姿勢を下げ、再び前を寛げるとさっきまで口にしていたものにゆっくりと指を伸ばし絡ませた。





 最初に断っておくが、二度目はないぞ。絶対にこれが最後だからな。






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鬼畜とみせかけてヘタレだった罠…( ´∀`)+゜


update:08/2/12



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