「どうしてここに?」 俺の顔を見るなり開口一番そう言った古泉は、いつもの笑顔でない素に近い表情をしていた。 言うなれば鳩が豆鉄砲喰らったみたいな。喰らってるとこ見たことないけどな。 三分前に電話に出たときにも、どうして、と言っていたから、よっぽど俺がここに来ることが想定外の出来事らしい。実際ここまでやって来た俺自身もそう思うが。 メランコリック・ブルー 12 古泉の住み処はおよそ高校生の一人暮しという言葉のイメージとは掛け離れた、高そうなマンションの一室だった。 大方機関が用意した部屋なんだろうが、古泉曰く末端要員に対してこの待遇なら、イレギュラーな能力を戴く組織とは得てして金の集まるものらしい。 古泉のバイト代は月に換算するといくらぐらいなのか聞いてみたいもんだ。 その高そうなマンションの上等なエントランスを抜け、エレベーターで五階。 目当ての部屋番号を確認して呼び鈴を押し、ほどなくドアを開けた古泉は見慣れない私服姿だった。 とは言っても、いつもの集会に着てくるような、かっちりと隙のないモデルもどきの服装ではなく、ウォーターグリーンのシャツ一枚だ。洗いざらしの、プレス跡の見えないそれはおそらく部屋着にしているのだろう。 髪も心なしか乱れていて、垂れた前髪が無造作に目許にかかっている。 この様子だとずっと自宅に居たらしい。 ハルヒの機嫌がああだったから、閉鎖空間帰りかもと思ったが。 「団長命令だよ。見舞いに行けって」 エライ心配されようだったぞ、と告げると、驚いた表情にすぐいつもの微笑が上書きされた。 「そうでしたか。…すいません、今週中に提出しなくてはならない報告書が山積みでして。昨日から徹夜で頭を抱えてました」 なんだ、結局のところサボリか。 そうと知っていたらわざわざ俺が強制家庭訪問させられることも無かったのに。 最初から部室の時点で電話して確認しておくべきだった、などと考えつつ、目の前の古泉を見遣る。 いつもの如才ない微笑みに少しだけ、何か違和感を感じた。 特に根拠があるわけではないが。気のせいか? 「…そっか、じゃあコレ、お前んとこの担任に頼まれたプリント」 鞄の中を探り、預かってきた紙束を差し出す。 わざわざすみません、と恐縮しつつそれを受け取ろうとした古泉と、僅かに指先が触れ合った。 「………」 数日分にしては結構な厚みのあるプリントの束を左手に下げ、 古泉はまた笑顔を作り直すと、 「…ご迷惑をおかけして、すみませんでし…」 とってつけたような古泉の常套句の謝罪が終わらないうちに、俺はいったんは引っ込めようとした右手を、突き出すようにして古泉の首筋にふれた。 俺の行動が予想外だったのだろう、目を見開いた古泉の手からプリント類が滑りおちる。 特に留めてあったわけでもないそれは、乾いた音を立ててコンクリートの床に散らばった。 「なん…」 「お前、熱があるんじゃないか」 平熱にしては熱すぎる。 そう思ってみれば、なんだか目も潤んでいるし顔色も冴えない。 手が触れた瞬間確信を得たのは、触られる度に温度が低いと感じていた指先が、今日は驚くほど熱かったからだ。そんな理由で気がつくというのも何だか嫌な感じだが。 うなじにかかる髪をかき分けるようにして更に手を滑らせると、古泉は身を強張らせて引き腰になった。 何と弁解するか思案するように視線がさ迷う。 俺の予想が正解だったことを示すように、古泉は取り繕った嘘があっさりばれた子供のような、ばつが悪そうな表情を浮かべた。 「ポカリと…、あと梅がゆ。レトルトあっためるくらい出来んだろ」 「はい…すみません」 すぐ近所にあったコンビニで調達してきた食料をローテーブルの上に並べると、古泉が申し訳なさそうに呟いた。 どうして俺が甲斐がいしく買い物までしてきてやっているのかというと、昨日から発熱で寝込んでいた古泉は無論外に出ることもままならず、家に食糧と呼べるものはバターとミネラルウォーターだけだという話を聞いてしまったからだ。 いくら相手があの古泉だとはいえ、病人をそのまま放置して帰るわけにもいかない。そんなことして孤独死されたら夢見が悪いからな。 俺がソファに座らず、敷かれたカーペットの上に直に胡座をかいているからだろう。古泉も床に正座している。 通されたリビングは、テレビとテーブルと白いソファが一応家具として鎮座しているだけで、何とも使用感のない部屋だった。奥にもう一つ部屋があって、そちらを寝室として使っているらしい。学生の独り暮しには贅沢だな。 読みさしの雑誌がラックに積まれていたりと、長門の部屋みたく生活感がないという訳じゃない。ただ、無造作にそこに置かれているだけといった感じが、部屋の主のインナースペースを反映しているように思えた。 「医者には行ったのか?」 「…あ、いえ…きっとただの風邪か何かでしょうから」 寝ていれば治ります、と笑う声は平常を粧っているつもりだろうが、明らかに覇気がない。報告書が云々などと嘘をついたのは、おそらく弱っているところを俺に知られたくなかったんだろう。猫みたいな習性だな。 テーブルの上に転がしてあった電子タイプの体温計を押しつけ計らせると、液晶は37.7℃を表示していた。微熱といったところだ。 「何だ。もっと高いかと思った」 「37℃超すと駄目ですね…平熱が低いせいか、どうも熱には弱くて」 意外な弱点だな。 「薬はあるんだろ。これ食ったらさっさと寝ちまえ」 「そうします」 そう言って微笑んだ古泉の、下瞼のあたりに薄く隈が出来ている。 男前が台なしだ。そんなに具合が芳しくないなら長居するのも悪い。もとからする気もないが。 「それじゃあ、俺帰るわ」 「え…」 腰を上げようとすると、古泉が小さく声を上げた。 えって何だよ。 「あの……、いや、何でも…」 らしくなく、口ごもるような歯切れの悪い返事をしながら目を逸らす。 立ち上がるタイミングを失って膝をついた状態のまま古泉を見下ろすと、普段は見ない角度の顔は、衰弱しているからか、少し頼りなげに見えた。 「……涼宮さんの命令であっても、まさか…あなたが僕のところへ来て下さるとは 思いませんでした」 独白のように古泉が呟く。 そりゃあハルヒがこんな無茶でも言い出さなきゃ、たぶん古泉の家にに来ることはなかっただろうな。 「……そうですね。あなたは、涼宮さんの」 そう言いかけて、古泉は自嘲気味に苦笑し嘆息した。 「いえ、何でもありません」 お前、なんか変だぞ。 いつも変といえば変な奴だが、今日は輪をかけて様子がおかしい。 「そうですか?だとしたら、熱で頭がフラフラしてるせいかも知れません」 掌で前髪をかき分けながら言う。 「……もう寝ろよ」 具合が悪いとこ悪かったな、と言いながら立ち上がろうとして失敗した。 バランスを崩してそのままカーペットに右手をつく。 左手は、古泉の手に掴まれていた。 「…帰らないで下さい」 手の甲を包み込むように握りこんだ掌の熱に狼狽する。 困惑して古泉を見ると、微笑は消えていた。 嫌だ。真顔のこいつに見つめられると、普段以上にいたたまれなさを感じる。 「……はなせよ」 「離しません」 何言ってんだお前。 いよいよもって熱で頭が沸いたんじゃないのか? ぎゅっと握られた手に力が篭る。嫌な動悸がする。病人だと思って油断し過ぎたが、よく考えなくともここは古泉のテリトリーの中で。 「……今来るんじゃなかったって思ったでしょう」 まったくその通りです。 試しに手を引っ張って引き抜こうとしたがびくともしなかった。馬鹿力は体調不良でも健在らしい。 「やめろ」 焦りを押さえ切れていない声で言うと、古泉が唇を弓なりに形作った。 「そんなに怯えないでください。…今更でしょう?」 ぐっと腕を引っ張りこまれたかと思うと、肩を掴まれそのまま床に引き倒される。 カーペットが下敷きになってそれほど痛くはなかったが、だったらいいってものでもない。 「……ッ」 白い天井を背景に、照明で逆光になっている覆いかぶさった古泉の笑顔を思いっきり睨みつける。 この恩知らずめ。さっきまでのしおらしさはどこに行ったんだ。 病人だと思って変な仏心を出した俺が馬鹿だった。 俺の上に馬乗りになった古泉が、手のひらでそっと俺の首筋にふれてくる。 「抵抗しないで下さい。…お願いします」 ---------------------------------- update:07/11/5 |