あの日、僕がどんなに彼に焦がれ、どんな思いを募らせ彼に触れたかなんて、差し当たって彼にとっては何等関係がなく、よしんばそれを彼が知ったところで僕のとった手段を正当化する理由になど出来よう筈も無く、情状酌量の余地は無い。

 無理やり、強引に、彼の意思も省みず。

 誰に対してもむやみに刺のある言葉を吐くことの無い彼が、金輪際顔も見たくないと言い切るほどの無体を僕は彼に強いたのであって、それは至極正常な反応だとも言える。
 だからこそ、その着信が彼からであったことは僕にはやはり予想外もいいところで、開口一番どうして、と問うてしまったのは自然に口をついて出た疑問だった。
 本当に、呆れるくらい実直で、誠実で、優しい人だ。
 これから見舞いに来るという彼のこの行動は大方涼宮さんの命令だろうと簡単に当たりはつくが、それだって断ってしまえば済むことなのに。いかに有無を言わさぬ彼女の言葉とはいえ、自分を脅迫しているような人間の自宅に赴こうなどと普通は考えないだろうし、ましてや情をかけてやろうなどとは思わない。
 故に、電話での予告通り三分後にマンションの玄関先で呼び鈴を鳴らした彼の、

 「お前、熱があるんじゃないのか」

 その何の気無しの台詞に、とっさに取り繕うこともできなかったのはただ意表をつかれた驚きからなのか、それとも、あっさりと誤魔化しを見破られた罰の悪さから来るものなのかどうかは、自分でもわからなかった。

















メランコリック・ブルー 13.5


















 はじめて抱いたのが先週の水曜日。

 次は翌日、屋上に通じる踊り場で。
 そして土曜日の映画館を数のうちに含めるならば、四度目のこれがきっと最後になるのだろう、と欲情しきった頭でぼんやりと考えた。約束の期限は今週末だ。
 組み敷いた腕の中の肢体はすでに力を失っていて、簡単にこちらの思い通りになる。
 ぐったりと俯せていた身体を繋がったまま、無理やり仰向けにさせ抱きしめると、あ、と小さく掠れた声が漏れた。その両手首を拘束していたネクタイを解いてやりそれを床に放り出す。少し赤く痕の残ってしまった手首を掴むと、だらりと力の抜けきったその両手を強引に背中に廻させた。
 散々泣かせて、灯らせた熱がひいてもなお赤みの残る頬や目許に、伏せられた濡れた睫毛。こめかみを幾重にも伝う涙の轍を掌で撫でつつその唇をふさぐと、意識をほとんどなくした彼は、何ら抵抗もなくそれを受け入れてくれた。
 或いは、風邪をひいて弱っているだろうと考え彼も油断をしたのかも知れない。わざわざ踵をかえし近所のコンビニで食料やらを買い込んで来てくれた彼を、リビングの床に押し倒した。
 無論抵抗はされたものの、はじめのころと比べるといくらか弱くなったと感じるのは、病人相手だからというどこまでも甘い彼の気遣いなのか、それとも、少しは僕とこうすることに慣れてきて、流されてくれているからだろうか。いや、後者であってほしいなどとと思うのは痴がましいことだろう。
 こうなってしまえば逃げられないと悟ったのか、フローリングに敷いたラグの上で諦めたようにややおとなしくなった彼の肢体をゆっくりと、確かめるように愛撫すると、これまでと違い室内だからどうかはわからないが、控え目な、それでもはっきりと愉悦を滲ませた声が上がる。そのことにただ、堪らなく情欲を掻き立てられながらひたすら夢中でその身体を抱いた。
 思考の芯が焼き切れそうなひどい眩暈と渇きは、もはや怪我の所為だけとは言えない。身体を動かすたびに脇腹が鈍く痛んだが、不思議と気にはならなかった。
 どろどろに濡らした彼の入口からゆっくりと押し入ると、今までのような苦痛を訴える悲鳴とはどこか色の違う嬌声が、濡れそぼつくちびるからこぼれる。
 温かな彼の内側はただ例えようもなく心地よくて、欲望のままに細い腰を揺すぶりながら、ああ、このまま細胞のひとつのこらず混じり合えてしまえたらどんなにいいだろう、と勝手なことを夢想する。
 実際、繋がった部分から溶け出していきそうな熱を分け合うこの行為は、ともすれば自分と彼との境目が曖昧になるような錯覚すら覚えた。
 本当にそうなってしまえば彼と離れることもないのに。
 それほどまでに僕が彼を欲しいと思う理由などひとつしかなく、それに気がついてみれば実に事は単純だ。

 いつの間にか、そうなっていた。

 初めて報告書の中の彼の写真と名前を見たときは、何の感慨もなかった。
 それが作為的な出会いとはいえ、すぐ隣で生身の彼が笑い、怒り、何気ない言葉を語るのを感じているうちに、僕が彼に惹かれていくことはまるで必然のような意味を帯びていた。
 至って普通で平凡な彼が、いつも、それが当たり前であるかのように齎してくれる一瞬の優しさが、僕にはただ得難いもので、一度与えられる心地よさを知ってしまったからこそ、きっと僕は彼から離れられない。
 一方的なエゴに満ちた、愛や恋と言うには些か歪な感情であれ、僕は何があっても、それが機関という、唯一僕の存在理由を形作るものの意思であっても、諦められないほどに彼が、


 「……好きなんです、どうしようもなく」


 つぶやくと同時に、意識の失せた彼の頬にぽたりと滴がおちた。
 自分の眦から滴りおちるそれが何故かどうやっても止まらなくて、僕は慌てて彼の肩口に顔を埋めた。乱れたシャツの襟元にじわりとぬるい水滴が染みていく。


 そうして温かな肢体の脈動を感じながらもう一度、耳元で小さく、すきです、と囁くと、僅かに目を閉じたままの彼の、シャツを掴む手に力が篭った気がした。







----------------------------------






update:08/09/04



13.75へ→