メランコリック・ブルー 6





 『電話に出ていただけませんか』





 古泉にしては珍しく簡略化されたメールの文章だった。
いつもは丁寧な言葉とともに的確かつある程度長ったらしい内容でメールしてくるのに。添付ファイルを送ってくることも滅多にない。というか初めてのような気がする。
 しかし、本文の下に自動表示された添付のJPGファイルまでスクロールして俺は、その画像に目を疑った。




 俺だ。




 それも、ただの写真じゃない。
 それが何の画像であるかを脳が認識するなり、心臓が鷲づかみされたような衝撃があった。反射的に携帯の液晶画面から目を逸らす。
 身体の末端から、一秒ごとに全身が冷たくなっていくのがわかった。呼吸が出来ない。掌に嫌な汗が滲み出てきて気持ち悪い。

 携帯の中に表示された俺は、俺自身でさえ見たことのないような表情をしていた。

 床にぐったりと横たわって、何も纏っていない開きっぱなしの脚の狭間からは半透明の白い液体が伝って濡れているのが見てとれる。散々泣かされて赤く染まった目許に、酸素を求めるように半分開いた口からはだらしなく涎が垂れて正視に耐えない猥雑さだ。
 昨日気を失っている間に撮られたのか。
 誰が見ても情事の後に撮影された悪趣味な証拠写真。つまり、これは。


 突如画面が切り替わり、着信を知らせる表示が現れる。

 びくっと肩を震わせた。
 古泉からだ。






 『もしもし、古泉です』

 四コール目にふるえる指先で通話ボタンを押し耳に当てると、いつも電話がかかってきた時と全く同じ古泉の声と台詞がスピーカー越しに聞こえた。

 『メール、ご覧になって頂けましたか』
 「………」

 沈黙を肯定と見做したのか、古泉が見ていただけたようですね、と確認するように言った。

 『今どちらにいらっしゃいますか?』

 気道が完全にふさがってしまったかのように声が出ない。
 漸くたった一言を搾り出すのに、たっぷり十五秒はかかった。

 「……玄関にいる」
 『それは帰ってしまわれる前で良かったです。今から言う場所まで来て頂けますね?』

 こちらの返事も待たずに古泉は、今自分が居る指定の場所を告げると、『それではお待ちしてます』とだけ言って通話を切った。
 一分にも満たない通話時間の表示が消える。待受画面に切り替わり、それが省電力モードになるまで俺は立ち尽くしたまま携帯を見つめていた。














 古泉が指定してきたのは部室でも教室でもなく、部室棟の屋上へと繋がる階段の踊り場だった。
 ただでさえ人の少ない棟の、立入禁止の屋上へ放課後用事のある人間なんてまずいない。 人に聞かれたくない内緒話をするには打ってつけという訳だ。
 古泉と二人きりになんぞ二度となりたくはなかったが、話すことになる内容が内容だから、人気のない指定場所は俺としても都合がいいと言える。
 俺は鉄製の靴でもはかされているかのように鈍重な足を叱咤しながら一歩ずつ階段を上った。回りに朝比奈さんや長門がいないか、ましてやハルヒと鉢合わせしないか細心の注意を払う。あいつは俺がとうに帰ったものと思っているだろうから、もし見つかりでもしたら取っ捕まって職質を受けること間違いない。まさか古泉から脅迫まがいなメールをいただいて今からユスられに行くところですなんて口が裂けても言える訳がない。
 指名手配犯にでもなったような気分で階段を上がる。
 三階の踊り場まで来ると後は屋上に直通する通路になっていて、更に上がったところ、屋上への扉の前に呼び出しをかけた人物はいた。
 見ないで済むなら見ずにおきたかった顔だ。
 直視に耐えないという意味じゃなく。
 古泉は俺の姿を目視すると、にっこりと非の打ち所のない微笑を浮かべた。

 「どうも。早かったですね」
 「どういうつもりだ」

 眦を吊り上げて吐き捨てると、古泉がわずかに眉を上げた。

 「何がです?」
 「…お前が送ってきた写真に決まってるだろ」
 「ああ、あれですか」

 よく撮れてるでしょう、と嬉しそうに言う。
 いちいちこちらのカンに障る態度を取るのはもしかしてわざとか?
 そのとぼけたツラを殴りつけたい気持ちがものすごく湧いてきたが、事態をややこしくするよりは速やかに用を済ませて立ち去りたい思いの方が圧倒的なのでこの際脇においておく。

 「そんなことはどうでもいい。さっさと携帯出せ」
 「残念ながら、そうはいきませんね」

 眉根を寄せて睨みつけると、両手を開いて肩をすくめるポーズをとる。

 「別に金品を脅しとるなどというつもりで撮った訳ではありませんから安心してください。保険とでも言いましょうか。まあ、趣味の一環でもありますが」

 どんな趣味だ。変態め。
 吐き捨てると、形のいい唇の右端が更に吊り上がる。
 そうするといつもの如才ない微笑と違って、どこか酷薄な印象になった。なまじ美形なだけにそんな笑い方をすると異様に様になっていて迫力がある。
 いったいいくつ笑顔のパターンがあるのか。笑顔がデフォルトだから、微妙に差異をつけることで喜怒哀楽を示してるとか言うんじゃなかろうな。長門みたく。

 「保険?」
 「ええ。簡単なことです。昨日あったことを、特に涼宮さんには悟られないようにしていただきたいんです」

 口止めしたかっただけか?
 それが何で保険なんだ。
 古泉が指先で栗色の前髪に触れながら言葉を接ぐ。

 「あなたの性格からいって、よもや誰かに話すようなことは皆無だとは思ってますがね。涼宮さんは僕達が善き友人であることを望んでいるようですし、SOS団内の空気が壊れることを望まないでしょう。あなたと僕の関係が変化したことで悪い方へ余計な揺さ振りをかけたくないんです」

 バイトの手間を惜しみたい訳か。
 なんつう手前勝手な言い分だろうか。自分で種を撒き散らしておいて。
 変態でサディストの上エゴイストだなんて救いようがないぞ。

 「ようするに、今まで通りSOS団員として接していただければ無問題です。そうして下されば、お送りした写真のデータは僕の携帯の中だけに留めておくとお約束します。勿論、必要なくなれば消去いたしますし、ご心配でしたら携帯ごとお渡しいたしましょう」

 さも誠実な取引と言わんばかりの語り口調だが、古泉がそんな約束を守る保証などどこにもない。むしろ出会ってからの数カ月で構築されてきた信用が一気に失墜した今となっては、平気で反故にする気なんじゃと疑えさえする。
 そうだ。データをコピーしておくとか、俺を出し抜くことはいくらでも出来るじゃないか。

 「信じていただけなくてもそれはそれで構いません。さっきも言いましたように、これは保険ですから。もとより、僕から性的被害を受けたなどと涼宮さんに話すつもりはないでしょう?あなたは」

 俺の思考パターンなどお見通しと言わんばかりの口調が大変腹立たしい。

 「……お前がもう二度と俺に触らないと約束するなら」

 そう呟くと、古泉が喉の奥で堪えるような笑いを零した。

 「お分かりでないようですね。これは取引ではありません。
 …僕はあなたにお願いしている訳ではありませんから」

 そう言いざまに、ドアの前に立ったままその位置から動いていなかった古泉が不意にアクションを起こす。
 慌てて後退ったが、背後がすぐ階段だった為俊敏に逃げ出すことも出来ず、あっという間に距離を詰められ腕を掴まれた。
 途端、昨日の記憶が瞬間的に甦って背筋が凍る。

 「やめろ…!!」

 腕を振り払おうと無茶苦茶に振ったが古泉の手は離れず、それどころかあっさり背後を取られて後ろから抱きすくめられる。強い拘束に身体が硬直した。
 耳朶に古泉の吐息がかかる。
 嫌でも昨日の出来事が脳裏に浮かぶ。

 「体温…少し高いですね。具合がよろしくないというのは本当のようです」

 お蔭様でな。全部お前の所為じゃないか。
 何とか羽交い絞めにされた状態から逃れようと身を捩ると、いっそう腕に力をこめてきつく締め上げながら首筋に舌を這わせてくる。

 「ひ、…」

 ぞくりとして思わず喉が鳴った。
 そのまま耳のすぐ傍までくちびるをよせた古泉が、幼子に言い含めるような調子で甘い声を出す。気色悪い。そうされると妙に力が抜ける。

 「僕も出来ることなら『秘密をばらされたくなければ』なんて陳腐な台詞で脅迫したくはないんです。あなたが僕の言う通りに常と変わらず振る舞ってくだされば、あなたは秘密を守れて僕は閉鎖空間の発生を懸念する頻度が減る。お互いにメリットがあると思いませんか」

 騙されるか詐欺師め。
 それを世間じゃ脅迫というんだ。
 そもそも俺が被害者であって、俺はお前に賠償請求なりできる権利があるってことを忘れてないか?

 ふふ、と低く含み笑いが耳朶をくすぐった。

 「さっきも言った通りですが一言で言い換えますと、あなたに拒否権はありません。
 言ってる意味、わかります?」







 ああ。どうやってもお前は俺を脅迫する気だってことがよくわかったよ。






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update:07/10/11



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