美しく深い森 2













 今日ほど己の迂闊さを後悔したのは、一度目の遭難で半死半生になった時以来だ。
 まさか同じこの渓谷で二度も遭難する羽目になろうとは。古泉が何かしら無体を働くたびに学習しろ、と苦言を呈していたものだが、どうやら遺憾なことに俺自身にも学習機能は備わっていなかったらしい。
 あの時は偶然俺を見つけた古泉が助けてくれた。
 でも今回ばかりはそうはいかない。その古泉の忠告を無視して勝手に飛び出してきたのは外ならぬ俺だ。

 「ひ…、っ」

 ずる、ぐちゃ、と粘性のある液体を掻き回しているような嫌な音を立ててそれが蠢く。
 掴まれていた足首からどんどん這い上って既に膝の上までそのぬめった蔓が幾重にも纏わり付き、尚も末端から身体の中心へ向かって移動し続けている。どこにそんな力があるのか、しっかりと絡みついたそれは既に振り払うこと自体難しい。
 なんなんだこれは。気持ち悪い!
 そこで漸く持ち合わせの装備の中に小型のナイフがあったことを思い出した。掌程度の刃渡りしかないちゃちなものだが、それでもこれくらい細いものなら切断するのは可能だ。
 素早く脇に放りっぱなしだった鞄へ手を伸ばす。と、

 「あ…!?」

 ナイフを手に取る前に、唐突に蔓に捕まった足を引っ張られ、物凄い力で沼の淵まで引きずられる。辛くも淵に繁った足の長い草を掴んで沼の中まで引きずり込まれるのは免れたものの、事態を把握する前にぬるりとした感覚が地面に着いている右手首にも這う。

 「う、わっ…、…!!!」

 逃げる隙もない。
 あっという間に四肢に蔓がかんじがらめに絡み付いてきて、俯せの体勢のまま身じろぐことすら叶わなくなる。
 冷や汗がどっと湧いて、背中を伝うのがわかった。これはしゃれにならない。
 古泉の言っていた、人間ですら獲物にする生物ってこいつのことなんだろうか。要するに俺はこのままこいつの腹に収まってジ・エンドか。この状態じゃ自力で逃げ出すのは不可能に等しいし、かと言って人間の存在しないこの渓谷で、助けを求めて叫んでみたところで無駄でしかない。唯一可能性のある古泉が見つけに来てくれるというセンも、喧嘩別れしてきたことを思えば絶望的に思えた。
 何とか自由になる首を動かして背後の沼を振り返ると、その水面に浮いている、この蔓の親玉と思しき毒々しい色をした、子供の背丈程もある巨大な花の集合体が見えた。花弁を揺らめかせ、中央の柘榴のような真っ赤な裂け目からどろどろと粘液が滴り落ちているのが見て取れる。それはまさにモンスターとはかくやと言った様相だ。
 このまま死ぬのか。
 こいつに喰われて死体も残らず、古泉には、もう逢えない。

 「そんなのいやだ、……っ、…」

 ぎゅっと目を閉じ、いつ食いつかれ噛み千切られるのかと身を固くする。
 しかし身体を拘束する触手の群れはずるずると表面を這い回るばかりで、一向に捕食しようとする気配はなかった。

 「……、…?」

 シャツの裾の下から忍び込み這い上がってきた蔓が肌を撫でるようにうごめく。
 腹からさらに上、平らな胸を辿り丁度乳首が位置するあたりまで行き着くと、まるでそれが目標だったかのようにぬる、と絡みついてきた。
 何かおかしい。
 身体を拘束していた触手が徐々に動きを変化させていく。
 まるで服の下の皮膚に直接触れたがっているかのようだ。次々に衣服の隙間から内側に入り込もうとしてくる。

 「あ、っあ…!?、な……」

 び、と布が裂ける音がして、弾け飛んだシャツの釦が石にぶつかって跳ね、叢の中に落ちる。そのまま前を肌蹴られあらわになった胸元や腹部に一斉に擦りついてくる。ぬめって冷たいそれが執拗に乳輪をなぞり、ぞわぞわとした悪寒と冷たさに屹立した突起を尚も押し潰すように刺激してくる。

 「ひ……」

 パニックに陥った。
 その触手の動きは明らかに意図を持っていて、まるでそこをそうすることで俺が性感を得られると心得ているようだった。そんな馬鹿な。

 「い…やだっ、やめ…、……!!!」

 下衣へも侵入してくる。はっとする間もない。
 温度の無いそれが下腹を辿り、潜りこみ、何の反応も示していない俺のそれに絡む。
 無論、抵抗した。悲鳴を上げて腰を捩らせてみたところで、がっちりと手足を押さえ込まれていては無駄な努力だ。そのまま幾重にも巻きついた蔓がざわりとうごめいて扱くように刺激を送り始める。

 「や、っぁあ!!…な、なん、ッで、…っ」

 なんで、どうして。こいつ俺を食うつもりじゃなかったのか。それなのになんでこんなまるで愛撫の真似事みたいなことを仕掛けて来るんだ。

 「ひ、っ、あ!」

 粘液を滴らせた細い先端に、ぐり、と鈴口を突かれ、腰が勝手に跳ね上がった。
 そのまままるで中に入れてくれと訴えるかのように小さな孔をこじ開けようとしてくる。びりびりとした鋭い痛みとともに堪え難い感覚が走る。認めたくないことに、それは快感とひどく近い感覚だ。

 「う、…っ、い、いや、痛、あ…!!」

 がり、と力を込め地面を引っかいた爪の隙間に、土が入り込む。
 幹をあやすように扱かれながら尚も細い蔓が粘液を纏わせて穴を拡げよう動く。むりだ、入らないからやめてくれ、と叫んだところで相手はカテゴリ的には植物みたいなものであって、要するに無意味だ。絶対不可能だと思ったのに、ぐりぐりと押しつけられているうちに、ぷつ、と異常な感覚とともに、僅かに先端が内側に入ってしまったのがわかった。

 「ッひ、…、い、やだ、っ…やめろ、抜け…っ」

 ぶわ、と堰を切るように涙が溢れ出した。
 ただ苦痛からだけじゃない。何なんだこれは。これじゃまるで化物に違う意味で襲われてるみたいじゃないか。いや実際もうこれは捕食行動じゃない。

 「ぅあ…!?」

 唐突に、ずるりと尿道に侵入した蔓が出ていく。
 小孔が解放され、じいん、と痺れに似た痛みが響く。同時に考えたくない場所にそれが這う気配があって、俺はぎくりと身体をかたくした。まさか。
 足の狭間の奥まった部分、の、古泉にしか許したことのないその窄みに、触手の先端部分が触れる。

 「っ、…い、いやだっ! いやだやめろ、やめ…」

 無茶苦茶に暴れてみたところで四肢はまったく思い通りにならない。押さえ付けられたまま場所を確かめるように縁をなぞっていたソレが、つぷ、と中に這入ってくる。

 「やだぁああ…!!!」

 有り得ない事態に悲鳴に近い泣き声を上げた。
 入ってくる。体内に。
 声を聞き付けられ他の獣に見つかろうがどうしようが、このまま化け物に犯されるよりはよっぽどましだ。そう思えばもう止めることも出来ずに子供みたいに泣きじゃくった。
 随分と細いらしいそれはぬるついている所為も相俟って、難無く奥まで侵入した。
 まるでその後を追うようにしてまた一本、もう一本と次から次へと細い紐状のものが身体の中に這入って来る。その恐怖と嫌悪感は半端じゃなかった。

 「ひ…、い…っ、…」

 一体何本入り込んでいるのか。
 無理矢理に拡げられた入り口がぎちりと痛む。
 反射的に力んでしまい触手の束を締めつけると、内部でぞろりとそれが蠢きその感触にまた泣いた。
 内壁を擽るように蔓が好き勝手にうねっている。異物を拒絶し押し出そうとする蠕動をものともせず、寧ろ逆に奥まで押し込まれる結果になり、びくびくと内股が引き攣った。
 切れ切れに荒い呼吸を繰り返していると、胸を這いずり回っていたそれより一回り太い管が口許に伸びてくる。嫌な予感に顔を背けるも逃げ切れず、悲しいかな予想通りそれが咥内に突っ込まれた。

 「うぐ、…ん…っ、っ…!?」

 喉奥まで侵入したそれが内部でどくんと脈打って、次の瞬間には粘性を帯びた甘く苦い生温い液体が喉に浴びせられる。顎を上向かされた状態では到底吐き出すことも構わず、そのままごく、と嚥下してしまう。

 「う、え…っ、げほっ、…!!」

 管が口から出ていくなり、俺は這い蹲った状態で噎せて口の中に残った残滓を吐き出した。最悪だ。いくらかは飲み込んじまった。
 それを激しく後悔したのは、数分と経たない直後のことだった。






----------------------------------







update:09/10/01



3へ→