美しく深い森 5













 身体が揺すられる感覚で、ふと、意識が浮上する。
 ひどく重い瞼をうっすらと持ち上げても、濁った視界は辺りが暗いのも相俟って殆ど見えない。鼻先に布地か何かが柔らかく触れて、よく知った、ふわりと甘い、微かな香りがした。

 「う…、…」

 目を何度か瞬かせると、漸くぼんやりと網膜が像を結ぶようになる。
 シャツ越しの腕が丁度それに顔を埋めているみたいに間近にあって、背中にも暖かな掌の感触があることで、どうやら誰かに上体を抱き起こされているらしい、ということがわかった。感覚がある、ということは、俺はまだ死んでいないんだろうか。

 「気がつきましたか」

 聞き覚えのある、これもよく知っている声だ。
 声の方向、つまり上方を仰ぎ見ると、まだ歪んで滲む視界に映ったのは、やっぱり忌々しいほど整った相貌のアップだった。

 「……古泉」

 もしかして俺は夢か何か見ているんだろうか。
 実はとっくにあの化け物に捕らえられ死んでいて、もしやこれは死後の世界ってやつなんじゃ、と、ぼんやり思考しているところで、突然がばっと力任せに抱き寄せられ、同時に走る背骨や肩の痛みでこれは現実なのだと覚った。

 「よかった……」

 生きていてくれて、と、らしからぬ少し震えた情けない声が至近距離で鼓膜に触れる。
 抱きつかれ、古泉の首筋に頬をおしつけるような体勢になって、その体温と微かな脈動を感じた瞬間、つん、と目の奥が染みるような、熱を持つような感覚がした。
 
 ちゃんと、探しに来てくれたのか。

 まるで取られまい離すまいとするように、ぎゅうぎゅうと手加減もなしに抱き寄せてくる。俺の身体の惨状は一目瞭然だろうに。散々人ならざるものに嬲られて下衣は完全に剥ぎ取られているし、シャツももはや着ていると言うよりは引っ掛かっていると言ったほうが正しい。それもどこもかしこも触手の粘液やら俺自身の汗やら精液やらが付着してぐっちゃぐちゃだ。そんな有様なのにこんなしっかり抱きついたりしたらお前まで汚れるぞ、と、言いたくとも喉が詰まったみたいに言葉が出なくて、ろくに力も入らない両腕を何とか古泉の背中にしがみつくみたいに廻した。

 「かわいそうに……酷い目に遭いましたね」

 遅くなってすみません、と言いながら漸く身体を離し、夜気に冷え切った顔や髪を子供にするみたいに撫でさすったあと、自分が着ていた外套を脱いで裸同然の俺の身体に着せかける。
 一体俺がどんな目に遭ったのか、古泉には察しがついているらしい。
 これだけ惨憺たるていたらくでは当然だ。ましてやずっとこの渓谷で過ごしている古泉なら、ああいう生き物がいることも知っているだろう。だからこそ何も知らない俺が迂闊に森に入ることを嫌がっていたのかも知れない。
 沼の方へ視線を向けても、暗闇に揺れる水面は穏やかにしんと静まり返っていて、触手の姿は完全に消えていた。

 「あれは……?」

 何とか発した声はがらがらに掠れていてみっともないことこの上ない。

 「もう大丈夫です。心配要りません」

 優しく微笑みながら古泉が、傍らの小さな赤い瓶を手にとって見せた。

 「家の周りに赤い実のなる樹があるでしょう。あれから作った果実酢です。これが彼等は大嫌いなんですよ。この森に入るには不可欠なものです」

 ちゃぷ、と中の液体が音を立てて揺れる。
 鼻につく酢特有の匂いがした。

 「それで退治したのか…?」
 「まさか。彼等を殺すことなんて出来ません。あれは無数に存在する株のひとつに過ぎないんです。地下水脈を伝ってこの森のあちこちに根を張り巡らせていますから、その本体が何処にあるかなんて誰にもわからないでしょうね」

 ぞっとする話だ。あんな化け物が本体の一部に過ぎず、まだまだ沢山いるなんて。
 ぶる、と肩を震わせると、寒いと思われたのか背中や腕を大きな掌で何度も撫でられた。

 「ん…、…っ」

 ぞくぞくと背筋を愉悦が走る。
 まだ摂取させられた粘液の効果は切れていないらしい。
 身体はくたくたでまともに命令を聞きやしないのに、古泉に触れられるとそこからまたじわりと身体の奥の埋火が煽られるようだった。

 「それよりも、……」

 耳元で喋られて、びくんと肩が竦み上がる。
 こっちの事情を知ってか知らずか、古泉が俺の上体を背中から抱き込むようにすると、無遠慮に外套を捲って脚の間に手を突っ込んだ。

 「な、……っあ、ぅ…!」

 つぷ、と指が後孔に這入り込む。突然の暴挙に驚いて反射的に脚を閉じようとするも、もう片手で太股を割り込まれ叶わない。
 いくらも埋まらないうちに直ぐ行き詰まりにあったらしく、こつ、と爪の先が内部で硬いものにぶつかる感触があった。

 「やっぱり…」
 「…っ、…!!」

 やっぱり、というのは無論、体内に生み付けられた種子のことだ。
 出来れば知られずにいたかった、後で自分で始末しようと思っていたそれを言い当てられてどうしようもない羞恥に襲われる。嫌だと言う意思表示のつもりで身体を前のめりに捩らせたが、古泉は指を抜くどころかさらにもう一本、ぐり、と内部に捩込んでくる。

 「ひ、あ…っ、…あ!」

 衝撃にきゅう、と内道が収縮すると、中に入ったままの種子同士がぶつかり位置が移動する。入り口付近を押し開くように二本の指を拡げられた。

 「出してください」
 「な…、…」

 平然と吐いたその台詞に絶句する。
 何言ってんだ、と反論する余裕も与えられず、古泉が指を掻き出すように動かし始める。 散々いたぶられ、腫れて過敏になりすぎた内壁を容赦なく刺激され、白い火花が散るみたいに視界が明滅する。

 「ひ、ぃ、っ…、いやだ、っや、やめ…それぇ…!!」

 とっくに枯渇したと思っていた涙がまた浮く。
 泣きすぎて溶けそうな目の奥も痛い。満身創痍もいいとこだ。
 ぐちゅぐちゅと粘液の擦れる音を立てて中を掻き回しながら、古泉が足を押さえ込んでいたもう片手で下腹に触れると、促すようにぐっと強く押し込んでくる。

 「うぁあ……ッ、やだっ、こんな、っこいず、…」
 「いい子ですから、言うとおりにして」

 でないと貴方が辛いんですよ、と諭すように囁かれたところで、他人の見ている前でそんなほぼ排泄と同等の行為に及べるわけがない。歯を噛み締めて沸き上がる排泄感に堪え、零すまいと後ろに力を込めると、それを咎めるように埋まった指が内壁の浅い部分を強く掻いてくる。鬼かこいつは。頼むからこれ以上瀕死の矜持に追い討ちをかけるようなことはやめてくれ。せめて向こうへ行っててくれ。

 「う、ぅう、っ、や、やだ、あ、あ」
 「我慢しないでください、ほら」
 「やだぁああ…!!」

 じっとりと汗が額に滲む。
 ひくひくと引き攣る襞が悲鳴を上げてもう駄目だと思った瞬間、ぐっと強く下腹を押された。

 「ひ、…ーー!!!」

 どろりとした粘液とともに、親指の先程の丸い種子が腹の中から押し出される。
 一度堰を切ればもう止めようがなくて、俺はそのまま泣きながら身体に埋め込まれた異物を吐き出した。

 「う、っ…うう、…み、るな…、っ」

 最悪だ。せっかく命が助かったというのにこのまま憤死しそうなほどに恥ずかしい。
 子供みたいに呼吸も覚束ないほどにしゃくり上げながら泣いていると、一旦出て行った指がまた体内に押し込まれる。

 「あ、う…!!」

 もう残っていませんか、と囁かれながら、確かめるようにぐるりと奥で指を廻される。
 死にそうなほどに恥ずかしいのに、その刺激にさえ浅ましく身体が反応する。
 それに古泉が気づいていないわけがない。

 「んん……、…」

 中に何も残っていないのを確認したあと、漸く指が抜き去られた。
 息も絶え絶えで時折思い出したように嗚咽するだけの俺を、ひょい、と古泉が事もなげに抱き抱える。いくら古泉の方が体格がいいと言っても同じ男だ。しかも力が抜けているだけに重いはずなのに。いくらかショックではあるが、立ち上がることはおろか身体にろくに力が入らないのが実際なので黙っておいた。
 促されるまま古泉の肩に頭を預け虚空を見上げると、藍色の空には細く冴え渡る三日月が見えた。額に口づけ、古泉が微笑む。


 「帰りましょう」





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update:09/10/06



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