You're my angel 2





 古泉のマンションに帰り着くと、当面の対策を話し合っているうちに
 夕暮れの時間になっていた。

 いくら打ち合わせたところで何の能力もない一般人の俺と、地域時間限定のエスパーに対処出来ることなど限られているだろうが、何もせずにうろたえているよりはよっぽど建設的だ。
 しかしまあ、最終的には神頼みと長門様頼みである至極当たり前の結論に達した。
 最初からそのまんまなんだけどな。




 「それじゃ、俺帰るわ」

 そう告げて立ち上がろうとすると、古泉がえっ、と零して俺を見上げた。

 「泊まって行かれないんですか?」

 確かに週末こうしてふたりで会った時には大概、そのまま古泉の部屋に泊まるのが
 通例とはなっている。
 しかし、それを至極自然に当然の理であるかのように言われ、なんだか急に恥ずかしくなった。仮にも女の姿かたちの古泉の口から出ると尚更だ。

 「いや…だって、まずいだろ」
 「何がです?」
 「その、お前今……女だし」

 しどろもどろになりつつ下を向くと、古泉が珍しく吹き出すようにして笑った。

 「そんなお気遣いは無用ですよ。見た目はこうでも、
  中身はいつもの僕と変わらないんですから」

 そうとはわかっているが、気が引けてしまうのは仕方があるまい。

 しかし、そこまで笑うこたないだろうよ。
 俺を見つめながらなおもおかしそうに肩を揺らし続ける古泉を半眼で睨むと、すみません、と謝りながら指でおちた前髪をかき分ける。そのまま上半身を乗り出すようにして、薄く笑みを浮かべた顔を近づけられ、俺は思わずのけ反って後ろ手を床についた。

 「少し安心しました」
 「…何がだよ」
 「あなたがほとほと涼宮さんに甘いのは、それが彼女だからという理由ではなく、
  単に女性という種類の人間に弱いからなんですね」
 「なんだそれ」

 古泉が顔を近づけたまま、指先でふっくらと柔らかそうなくちびるを押しつぶしなぞる。 割と考え事をしているときなんかに見せる仕種だが、今この状況だとどうにも含みのある動作に見えて仕方がない。

 「現に、僕が女性の外見をしているだけで、いつものように
  拒めないでいるじゃないですか。中身は僕だとわかっていても」
 「っそれは…」

 ちょっと戸惑ってるだけだ!と言ってやりたかったが、その通りな部分もなきにしも非ずなので黙り込むしかない。
 それを肯定と見做したのか、古泉の笑みが深くなる。

 「まさか自分が涼宮さんらと同じ女性の立場になる日が来るとは思いもよりませんでしたが、割といいものですね」

 暫くは元に戻らなくてもいいかもしれません、などと顎を傾がせながら
 冗談めかして言う。
 馬鹿言え。
 早々に戻らなければ、困るのはお前だけじゃないぞ。

 「そうですか?貴方としてもこちらの僕の方がいいんじゃないですか」

 唐突の予期しない台詞に、俺は目を瞬かせて眼前二十センチの距離の古泉を見た。

 「何言ってんだ」
 「僕がこのまま女性であれば、全くもってノーマルな恋人同士に分類されるカップルに相当することになるじゃないですか。常々貴方の中で、僕らが同性であることが非常に堅固なハードルとなっていると僕は感じていましたが」

 ニコリと笑われ、二の句が接げなかった。
 それは決して古泉の言葉が心中を射ていたわけではなく、いやある部分では射ているわけだが。
 言いあぐねて唇を逡巡させている俺を、まるで品定めするような視線で見つめていた古泉が、不意に少女の唇に微笑を戻した。

 「冗談です」
 「………………」

 ゲームでもしましょうか、と立ち上がった古泉が、ラックにしまってあるチェス盤を取りに行く。温もりがつたわるくらいすぐ傍の古泉がいた空間からふと、かすかに古泉の匂いがして、それはいつもと同じはずなのに何故か知らない匂いに感じた。

 女の子の匂いってやつだろうか。

 そう考えた思考を、俺はテレビのスイッチを入れることで無理やり掻き消した。












 古泉が適当に用意してくれた夕食を摂ると、朝から仰天し通しで疲れていたのか、
 すぐに睡魔がやってきた。
 何となく流しっぱなしにしていたテレビの内容もろくに頭に入ってこなくなる。
 食欲が満たされれば次は睡眠欲だなんて、我ながら単純な構造だ。
 ソファにもたれかかってうつらうつらしていると、食器を片付け終えた古泉が傍に寄ってきた。

 「またソファで寝て…。風邪ひきますよ」

 ため息まじりの声が降ってくる。
 女声にも動揺しなくなるほどには慣れたな、などとぼんやり考えながら、ああ、と間延びした返事をした。

 「お風呂はどうしますか?」
 「ん…、いい…起きてからで…」
 「では寝室にどうぞ」

 風邪ひきますから、と同じ台詞を繰り返しながら肩にそっと掌が触れ促される。
 眠気が邪魔をしてふらふら芯の定まらない身体を引きずって寝室のドアへ向かうと、俺が移動したのを確認したのか古泉はバスルームのほうへ消えていった。


 照明も点けずに、勝手知ったる部屋を手探りでベッドまで行き着くと、毛布を手繰り寄せてシーツとの隙間に身体を滑り込ませる。
 ひんやりとした綿の感触が、リビングの暖房でほてった頬に気持ちいい。
 寝具からはいつもの古泉の匂いがした。
 なんだか安心するなどと思ったのは眠気で相当頭が鈍っているからだろう。
 リビングの明かりが差し込んでいる開けっ放しのドアから、暫くたってシャワーの音が小さく聞こえて来る。他の誰かが居る安心感と滴り落ちる水の音が心地よくて、それを聞きながら、ゆっくりと意識が沈んでいくのを見送った。












 「ん…、…」

 鼻から抜けるような、自分の声で少し目が覚める。
 首筋にちくりとした疼痛があって、それがくすぐったくて首を毛布に埋めるようにしてすくめると、今度はこめかみのあたりに柔らかい感触があった。それが下りていったかと思うと、耳たぶを甘く噛まれる。

 「や、っ…」

 人が気持ち良く寝てるのに邪魔するなよ。

 薄く目を開くと、真っ暗な中おぼろげに、誰かが身体に覆いかぶさっているのがわかった。そんなことをするやつはひとりしかいない。
 やめろ古泉、と寝ぼけた声を出しつつ腕でのしかかった身体を押しやろうとしたところで、意識がはっきり覚醒した。

 掴んだ肩が、いつもの骨張って固い、細い癖にしっかりした感触ではなく、驚くほど柔らかく華奢だったからだ。


 そうだ。古泉は今。


 「………!!!」

 思わず目を見開く。
 叫び声も出せずに、俺は古泉を掴んだ手を熱いものに触ったかのように素早く離すと、毛布の中で身体を硬直させた。
 そんな俺のリアクションに、シーツに両手をついて囲うようにして覆いかぶさっている古泉が、吐息で笑う。掛値なしに美人な目元を細めるようにしてだ。



 「何をそんなに驚くことがあるんです?…今さら」






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古泉(女)のターン!

update:07/11/26



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