発作か何かみたいにしゃくり上げながら泣いてみたところで、十分もすればパニックを起こした精神状態も収まってくる。俺が徐々に静かになってくると、仰向けの身体の上に覆いかぶさっていた古泉が、神妙な面持ちのまま漸く口を開いた。

 「これ…って」

 じっと胸元を見下ろされる。
 視線の先にはまったいらでなんの面白みもない男の胸板、に付属のようについている、男に生まれついた以上本来なんの機能も果たさない筈の乳首から、有り得ないことに乳白色の液体が滲み出てきていた。
 小さな孔からこぼれぷつりと露を結んでいるそれは、水か何かこぼしましたという言い訳はとてもじゃないが通らない。
 有り得ない。
 本来ここからソレが分泌されるのは女性、さらに言えば大体の場合において妊婦にのみ起こりうる生理現象であって、妊娠しているわけでも、増して女性でもない俺の胸から出て許されるものではない。
 何で、どうしてと疑問と混乱が未だ蟠るままひく、と嗚咽する。ただ古泉の視線の下にそのあられもない状態を曝しているのが非常にいたたまれなくて恥ずかしくて、逃れようと身を捩ると、両腕で肩を仰向けのまま押さえ付けられる。
 はなせ、と抗議するより先に、これまた有り得ないことに古泉が怪訝そうに眉をしかめたまま顔を伏せ、

 「ひゃ…!?」

 ぺろ、とその分泌物を舌で舐めあげやがった。
 触ってもないのに、まるでしつこく擦られたり弄られたりしたあとみたいにじんじんと疼くそこに温くぬめった舌で触れられ、予想もしない行動に上擦った悲鳴が勝手に上がる。

 「ばか、っなにす……、あ、ひっ」

 もう片方もぴちゃりと音を立てて舐められ、肌の上を伝い落ちた轍まで舌で辿られた。
 信じられない。よりによって舐めるやつがあるか!
 反射で背筋を弓なりに反らせ、その柔らかな髪をくしゃりと掴んで押しやる。

 「………ミルク、ですね」

 顔を上げた古泉が、舌で唇を舐めながら真剣に、独り言のように呟く。
 血が顔に上りきって憤死寸前の俺をまじまじと見つめたあと、見る間にその整った相貌に喜色を浮かべ、

 「…………子供が出来たんですか!?」
 「馬鹿っっ!!!!」

 思いっきり額に張り手を食らわす。
 どこをどう間違ったらその発想になるんだ!この馬鹿エルフ!!

 「俺がこの身体でどーやって身篭るんだよ!!」
 「だ、だって……お乳まで出るなんて…ずっと気分が悪いと仰っていたのも悪阻だったとしたら説明がつくじゃないですか」

 確かに言われてみると吐き気がしたり食べ物の匂いがだめだったり、酸っぱいものがほしかったり食べ物の好みが変わったりと、悪阻のテンプレみたいな症状が出ていたが、だからって男の身体でしかない俺が子供を孕むなんてことはお天道様が重力で落下してくるぐらい有り得ない。ありえない。筈なんだが。

 「まあ、別の可能性もないことはないんですが」

 額を押さえながら古泉が言う。
 それを早く言えよ早く。


















有効期間 2





















 「ああ……ありました、これです」

 それから約二時間、ベッドの脇に持ち込んだ古い文献を片っ端から紐解いていた古泉が漸く顔を上げた。

 「件の貴方が襲われた植物の分泌液に、捕獲した生物に対して雌雄関係なく妊娠反応を引き起こす成分が含まれているらしいです。潜伏期間が約一週間、ということですから、辻褄も合いますね」

 恐らくは種を植え付けた獲物を擬似的に身重の状態にすることで抵抗力を奪う訳ですね、はあ成る程、とひとりで合点が言ったと言わんばかりにニコニコしている古泉を、ベッドの隅っこで膝を抱えて座ったままじとりと睨む。
 御高説はいいからさっさと解決策を提示してくれないか。
 まさか知的好奇心を充たすためだけに文献漁りをしてたわけじゃあるまいな。

 「解決策はありませんね」
 「はっ!?」

 本を閉じながらさらっと微笑すら浮かべて古泉が発した台詞に、俺は豆鉄砲を喰らった鳩みたいな顔にならざるを得なかった。

 「一旦反応が出てしまうと、あとは完全に毒素が抜けるのを待つしかないみたいです。特効薬もないようですし……残滓が体内に残るとよくない、というのは聞き齧っていたので洗わせて頂いたんですが、あれだけ洗浄しても残っていたんでしょうか」

 茫然自失の俺にすみません、と眉を下げる古泉はちっとも深刻そうな顔に見えない。
 確かに家に戻って直ぐにこれ以上ないというほど執拗に中を洗浄された。が、よく覚えていないし思い出したくもないが、経口でもいくらか粘液を飲み込んでしまったし、とても口では言えない、通常何かが入るところではない孔にも触手が侵入してしまっていた気がする。それが残留していて作用したということだろうか。
 どっちにしたって俺はその、毒素が抜け切るまで女性なわけでも、妊娠してもいないのに悪阻に苦しめられ胸からは乳が出るって訳か。冗談じゃない!!

 「まあじたばたしてもどうにもなりませんし…それよりは水をなるべくたくさん飲んで安静になさっていたほうが宜しいかと」
 「……なんでお前そんなに楽しそうなんだ」

 ニコニコ顔の古泉を恨みがましく睨みつける。
 いいよな、お前は人事で。
 そりゃあ悪いのは俺で自分で撒いた種、自業自得だ。死にはしないかもしれないが、男なのに母乳が出るなんて結構なダメージなんだぞ。男としての矜持に対して。
 白旗のかわりに両手を上げおどけてみせた古泉が立ち上がり、そのまま横に腰掛けて来る。何だよ。寄るな。

 「すみません。もし僕と貴方の間に子供が出来たらこんなふうなのかな、と思うと、不謹慎ですがちょっとだけ嬉しくて」
 「…………」

 まさかこの期に及んで俺が子を孕む可能性を捨てきれていないとかとんでもないことを言い出さないでくれよ。
 痛むこめかみを揉みながらそれ以上返事もせずに溜息をつくと、絡みつくみたいにするりと伸びてきたしなやかな腕に、背中や肩を優しく抱き寄せられる。
 そのまま凭れてきた上体に体重をかけたかと思うと、胸元に鼻先を押しつけるように顔を埋めてくる。

 「おい、…」
 「甘い、いい匂いがします」

 すん、と服越しに匂いを嗅がれ、途端かっと頬が熱くなる。

 「馬鹿っ、このへんたい…!!」

 顔を引き剥がそうと突っぱねる腕を難無く押さえ込まれ、そのままシーツの上に引き倒される。もがいてみたところでやっぱり俺に勝ち目などあろうはずがない。理不尽だ。
 着替えたばかりの寝間着の裾を引っ張られ大きく捲り上げられる。

 「なに……」

 する気なんだ、とはその返答が嫌な予感の通りだとすると恐ろしすぎて言葉にならなかった。まさかとは思うが、そのまさかをやってのけるのが古泉だ。
 にこりと掛値なしの美しい微笑とで発せられた台詞は、俺を凍りつかせるに充分だった。


 「折角ですし、こんな機会二度と無さそうですし。勿体ないじゃないですか。ね?」




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update:09/11/24