「友達……ですか」


 古泉が心底意外だと言わんばかりの表情をした。
 それが当たり障りもなく流れていた俺と古泉の会話を断ち切った。そういうリアクションを返すところではないと少なくとも俺は思っていたので、何故古泉がそんな顔をするのか俺にはそっちが意外だった。

 「なんだよ…それがどうかしたか?」

 眉をしかめつつ返すと、古泉は何度か瞬きをした後ふわりといつもの笑顔を顔に戻す。

 「いえ、すみません。あなたは僕のことを友人だと思っていたのですね…はあ、成る程」

 何がなるほど、なのか。
 まるで難解な数学理論かなにかを理解できたみたいな口調だ。
 古泉のよくわからない反応に、さっきまで交わしていた会話を覚えている限り頭の中で巻き戻してみる。話していた内容はこうだ。
 昨日の晩、今週の日曜妹の友達の母親と外出するので留守番していてほしいとお袋に頼まれた。しかしその日は先々週から古泉と映画に行く約束をしていたので(このへんの経緯は長くなるので割愛する)「友達と約束があるから」と断った。お袋はその"友達"を国木田と勘違いしていたので、古泉だと訂正をした…そこまでだ。
 はっきり言って意味もなければ中身もない他愛もない日常会話であって、びっくりするようなオチもなければ成る程、と相槌を打つような推理小説のトリックをネタバレしていたわけでもない。

 「意味が分からんぞ、お前」

 腕組みをしてパイプ椅子の背もたれに寄りかかる。
 古泉がまたすみません、と言った。ちっともすまさそうに見えない。
 俺が唇の端を引き下げるのに比例するように古泉の口角が上がる。何がそんなに面白いのか是非俺にもわかるように説明してほしいもんだ。どうせろくなことじゃないんだろうがな。
 古泉が伏せっていた視線を上げて目の前の俺の顔を見た。
 申し訳ありませんが、と古泉が笑顔のままでわずかに眉尻を下げる。






 「僕はあなたのことを友人だとは思ってないんですよ」















メランコリック・ブルー















 ここで質問だ。
 毎日のように顔を合わせてボードゲームなどに興じる同じ部活の奴を、あなたにとってその人は何ですかと尋ねられたとする。おそらく10人中9.6人くらいは友達・知り合い・朋友・学友など等という回答をすると思われる。それが当然だ。
 しかしその毎日のように顔を合わせてボードゲームなどに興じる同じ部活の奴に面と向かって「友達だと思っていない」と言われた場合、どういう返事をするのが正解なのか。  そんなきまずい場面に遭遇したことは俺のなけなしの人生経験上にはない。そう、まさに今その状態なのだが。

 あっけにとられている俺の目の前のオセロのボードに、何事もないかのような笑顔で古泉が黒石を足した。ひとつ、ふたつ、みっつと白が黒に裏返り入れ替わる。

 「あなたの番ですよ」

 促されてはっと我に返った。
 もしかして聞き間違いか?いやその割にははっきり聞こえた。
 まだ何がベストの返答なのか検索できずにいる思考のまま、石を手に取る。それと同時に今度は古泉が椅子に凭れて、長い指を優雅なしぐさで組んだ。

 「まあ、"機関"の上の方からはそれらしくするように言われてはいるんですがね。特に、あなたには親密な友人として可能な限り接近するようにと」

 聞き違いではない。
 ほんとに唐突に始まった古泉の自白に、頭はフリーズするばかりだ。
 ようするに命令があるから俺とは友達ごっこをしているだけですよと言いたいのか?
 仮にそうだとして何でそんなことわざわざ俺にバラすんだ?今このタイミングで?
 当の古泉はといえば、耳に入った内容をただの音として処理することにも慣れた長ったらしいたとえ話をする時と変わらない説明口調で淡々と話している。いつもの爽やかな笑顔は崩さないままだ。

 「………わるかったな」

 なんで謝ってんだ。俺。
 むしろここは古泉が謝罪するべきで俺は怒ってしかるべきところのような気もするが、何故か怒りらしき感情は湧いてこなかった。というか、正解のリアクションがわかる奴がいたら俺に教えてほしい。
 顔を上げるのが憚られて視線をボードに落としたままでいたら、古泉が珍しく吹き出すようにして笑い出した。

 「何故あなたが謝るんです?」
 「…………いや、無理して友達の振りしてたんなら、悪かったなと」

 くっくっと喉を鳴らしながら、古泉が肩をすくめる。

 「参ったな。その反応は正直、想定外です。その場で殴られても仕方ないことを僕は言ったと思うのですが」

 そうだろうな。
 これが谷口あたりだったら殴っていたかも知れん。
 さすがですね、と訳の分からない感想を漏らしながら、古泉が俺を見た。
 やや切れ長の整った双眸と目が合って、なんだか居心地が悪い。

 「あなたのそういうところ、好きですよ」

 いったい何なんだ。
 友達じゃないと言ってみたり、好きだと言ってみたり。
 試し透かすような古泉の視線に俺は段々苛立ちを感じながら、指先で抓んだままだった石を最後の角に置いた。ふたつ白の陣地を広げる。あと数手で詰めというところだったが、目測でも白の勝利は揺るぎそうになかった。

 「おまえな…、実は深層心理チェックでしたとか言ったらホントに殴るぞ」

 ふふ、といつもの含み笑いを漏らす。
 目は笑っていないので、どうやらからかっているわけではないようだ。

 「さっきから何が言いたいんだ、お前は」
 「何って、言葉通りの意味ですよ。…僕はあなたを友人だとは思っていません。あなたからそう思って頂けていたということは、光栄ですけどね」

 古泉は微笑を浮かべた唇を、指先で押しつぶすようになぞった。
 騙していたというなら、もう少し申し訳なさそうな顔をしたらどうだ。

 「そりゃ勝手にトモダチ扱いして悪かったな。お前もご苦労なこった。お達しとはいえ何とも思ってない奴の友達の振りなんざ」

 皮肉ってやるつもりだったが思っていたより刺々しい声が出る。
 しかし古泉には何のダメージにもならないらしく相変わらずニコニコしながら、机に肘をついたまま手のひらを上に向けて人差し指で俺を指した。

 「何とも思っていない訳でもありませんよ。…そうですね、僕にとってあなたは…例えば」

 俺を指した指先が、そのままオセロの上に落ちる。
 数コマを除いて殆ど白に染まっていたゲームに古泉は手を乗せたかと思うと、そのまま無造作に手のひらを横に動かして並んでいだ石をボードから落とした。じゃらじゃらとプラスチック製の石が次々と長机に当たって耳障りな音を立てる。

 「こういう風にしてみたいと思える対象ですね。破壊衝動といいますか」

 まったくもって意味がわからん。
 文章がおかしいぞお前。というかいくら白が圧勝的で今更決着をつけるまでもないゲームだからって相手に断りもなく反故にするなんて失礼じゃないのか。
 今度はすんなり脳裏に浮かんできた回答が喉まで出かかったが、言えなかった。





 古泉が俺にキスしたからだ。










update:07/10/02



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